EMG

プヲタピーターパン症候群・・・略してプヲターパンがお届けする熱さの押し売りブログ 〜欲しがりますよ勝つまでは〜
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
新たなる船出
NoName_0855.jpg
22日激動のシリーズとなった「Southern Navig.'09」最終戦・後楽園ホール大会を観戦してきました。


長かったですね。開幕の後楽園大会が遠い昔に思えてしまうくらいに…。

そして、あの広島大会以降の連戦を無事に完走出来て本当に良かった…。


先週来たばかりの後楽園ホール。

手前にある山下書店では、週プロの増刊号が大量に入荷されていて、三沢さんの著者本である『理想主義者』と共にズラリと店頭を飾っていました。

そうやってプロレス関係の書籍が店頭に並ぶのは馬場さんが亡くなって以来10年ぶりのことだったそうです。

その横では日刊スポーツの追悼特集号も手売りされていて、さながら書店全体が三沢さん一色という感じだった。

来るときにコンビニで買った東スポの三沢光晴追悼号が入っている袋にその日刊の追悼特集号も詰めてホールに向かうと、入口からは5Fに向かおとするエレベーター待ちのファンの群れが列をなすという久しく見られない光景が広がっていた。

その列を横目に、あのプヲタの熱情&怨念渦巻く落書き階段を使って5Fへ上がり、献花台で三沢さんの遺影を見た。

やっぱり直に遺影を見てしまうと…これまで正直フワフワして定まらなかった現実感が一気にリアルなモノになってしまうような感覚にとらわれた。

それは悲しいという感情とはまた違う…到底言葉にならなくて、まるで表現出来ない感情だった。


会場内では、偶然ジョニーさんに会えたので19日にG+で放送された『三沢光晴緊急追悼特番』のDVDを渡すことが出来た。

この日一緒に観戦に来た先輩も自分もジョニーさんも同年代の三沢光晴直撃世代。

四天王時代や三冠王時代のような中心的な存在となるまでの…ジャンボやハンセンにボコボコにされ、その大き過ぎる壁に何度も跳ね返されながらも諦めずに超世代軍の旗手としてトップに昇り詰めていくまでの三沢さんのファイトに魅せられて…その勇姿に声援を送り続けてきた。

あの頃、世代を超える為に毎日を全力で駆け抜けてきた三沢さんと同じ時代を生きてきた者として、その偉業や功績を後世に語り継いでいくことが…あの激闘を体感してきた生き証人としての使命だと自分は思う。

先輩やジョニーさんはその同志なのだ。

今日来れなかった友人も高校時代に自分が三沢vs川田をキッカケにハマらせた同志だし、姉夫婦も、中学時代の友人も、職場の後輩も、元カノも、みんなみんな三沢さん(プロレス)で繋がっている仲間だ。

そして、この会場に集まっている全てのファンが同志であり仲間だと自分にはそう思えた。


試合前、三沢さんの追悼セレモニーが行われた。欠場中の選手や外人を含めた全選手がリングを囲み、三沢さんの遺影を持ったジョーさんを中心に百田さん、小橋さん、田上、小川がリング上から、起立した観客と共に1分間の黙祷を捧げました。


試合は素晴らしい内容の連続。見守ってくれている三沢さんを安心させようと奮闘する選手達に目一杯声援を送りながら迎えたメインイベント。KENTAと豪のチャンピオンタッグ登場!

リング上でお互いベルトを掲げて並び立つ姿は…絵になり過ぎていて、眩しいくらいの光を放っていた。

こういうことがある前からKENTAはノアJrを引っ張って来ましたが、ノア生え抜き初のGHCヘビー級チャンピオンとして聖地・後楽園に凱旋した豪の勇姿に自分は大きく胸を揺さぶられました。

先発を買って出た豪と健介が激しいやりとりを見せた後に勝彦が出てくると、会場は大KENTAコールで二人のライバル対決をリクエストする…

しかしそんな会場の空気を感じながらも、コーナーのKENTAに合図を送って、勝彦を迎え撃った豪。

ここで空気を読んで易々とKENTAにスイッチするようでは…と思っていたので、このシーンにはやられました。

正直、博多の力さんとの王者決定戦は、ヒヤっとさせられる危ないシーンが幾つかあって…ただでさえざわついていた胸が世話しなく高鳴って…息苦しさを感じてしまった。

だがしかし、試合後のインタビューで涙を流しながらも、しっかりと今の自分の気持ちを自分の言葉で語っている姿を見て…大丈夫だ!という確信めいた感情を抱きました。

そして、この日は序盤のあのシーンで確信を上回る感情が芽生えていました。

そして、あの安定感のある堂々たる闘いっぷり…

冒頭に書いた「無事に完走出来て本当に良かった…。」という気持ちは、あの博多大会のメインを見たから余計に感じた偽らざる心境だった。

だから、余計にこの日の豪の姿が頼もしく思えたし、それを支えるKENTAが横にいてくれて本当に良かったと思えたのです。


そして、そんな豪とKENTA相手に闘志全開で噛み付いてきた勝彦もまた素晴らしかった。健介も含めてこの4人が織りなす最上級のプロレスは、全てのファンが天国の三沢さんに「ノアは大丈夫ですよ」と自信を持って報告出来るような極上のメインだった。


豪をトップの位置に引き上げること。それが自分にとって最後の仕事だと言っていた三沢さん。

その夢も今こうして叶おうとしています。


そんな今の…そしてこれからのノアを引っ張っていく若きチャンピオン2人が、三沢さんの遺影に礼をして万雷の拍手に送られて花道を下がると…

自然発生的に巻き起こる大三沢コール!!ニューバージョンのスパルタンXに合わせての手拍子…会場が一体になってのそれはこの日集まったファンの魂の咆哮だった。

そして大量に投げ込まれた緑色の紙テープがエメラルドグリーンのマットを覆い尽くす。

あの日会場にいたファンの声にあるように、自分にもあの魂の三沢コールに乗って入場してくる三沢さんが…緑色のテープが飛び交う中でエメラルドグリーンのマットに佇む三沢さんの姿が確かに見えました。

目を閉じても確かにその存在を感じることが出来ました。

あのチャウチャウのような笑い顔とケンケンのような笑い声で万雷の三沢コールにニヤリとする三沢さんが浮かんで来て…

たまらなくなりホールの天井を仰いだ時…

ドクターデスの殺人バックドロップによって三冠連続防衛記録を打ち砕かれ武道館の天井を仰いで涙したあの日を思い出しました。

会場で涙したのはあの時が初めてでした。

そして会場でこれだけ泣けたのはこの日が初めてでした。


そこから、これまでの記憶が津波が押し寄せるようにフラッシュバックされてきて、今まで無意識に抑えていた感情が一気に溢れ出してしまいました。

だから、今までずっと心の中に留めておいた三沢さんへの感謝の気持ちも溢れてきたので、自分なりに必死でその気持ちを伝えたつもりです。


…伝えたつもりだったんですが…感情がグチャグチャだったからまだまだ伝え切れていない思いがあります。

だから、7・4のお別れ会までにはしっかりと気持ちを整理して、ぶっちゃけて来ようと思います!


いつまでも止まない三沢コールの中…大会終了を告げる難波さんからのアナウンスがあっても、誰も席を立とうとしない。

きっとみんな三沢さんの存在を感じていたから…別れを惜しんでこの場を離れられずにいたんでしょうね。


今大会前ノアから、今後もあのエメラルドグリーンのマットを使い続けて行くというリリースがありました。

だから、これからもあのエメラルドグリーンのマット上でノアの選手達の闘いが展開されていく。

そして、あのエメラルドグリーンのマットを見ればそこにいつだって三沢光晴を感じることが出来る!


だから寂しくなんかない!

ノアのそして三沢さんのファンでいたこと…同じ時代を生きて…あの生き様を胸に刻んで来れたこと…

その全てに感謝して、その全てを誇りに思って!

ファンとして、一人の人間としてこれから悔いのないような生き方をしていかなきゃいけない。

同志と共に三沢さんの偉大なる功績と伝説になった激闘の数々をずっとずっと語り継いでいかなきゃいけない。


そして、この日箱舟の新たなる船出に立ち会ったからにはその行く末を見守っていかなきゃいけないんです。

2人の若き王者を筆頭に…箱舟よ舵を取れ、エメラルドグリーンの光の指す方へ!!
| NOAH | 04:27 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
スパルタンX

22日の後楽園で聞いた鳴り止まない三沢コールと・・・スパルタンX

自分は、あのニューバージョンが余り好きになれなかった。

三沢コールがしずらいからとか、まだ聞き慣れるほど聞いていなかったからとか、色々と理由づけをしようとしても結論から言えば、自分にとってのスパルタンXは、あの激闘の記憶が染み付いた・・・三沢さんと共に歩んできたあの原曲バージョンなんですよね。

そんなことを想いながら、昔映画のスパルタンXを見た時、あの聞き慣れた曲に英語の歌詞がのっていて、ちょっと驚いた記憶がふと蘇ってきて、ネットで検索したところ・・・こんな動画を見つけました。



ニコニコ動画



この英語の歌詞に驚いたときは既に三沢ファンだった高校時代。その内容が三沢さんの勇姿にだぶるということはかすかな英語力からでも判断できた。


ニコ動を見れない方の為に、下記にこの動画をUPされた方の和訳した歌詞を掲載させていただきます。



いつの日も、どんな夜も彼は走り続ける

彼が進むのは人々がそう願っているから

彼は闘い続ける ずっと闘い続ける

それは彼がみんなを愛しているから

そしてみんなが望んでいるから

彼だって休みたいときがあるだろう

しかし思い出にしないため 立ち止まらない

朝も夜も、夜も朝も、一日中

彼の闘いは雷のようだ

彼の動きは驚くことばかりだ

彼は謎ばかりだ わからないことばかりだ

彼はレンジャーのように働く

チャージャー(加湿器)でもついているんじゃないか

彼はいつも謎ばかりだ。わからないことばかりだ


(2番)

人は云う 彼は心を魅了し 鋼の肉体を持つと

みんな彼の魂の闘いに触れたいんだ

彼の闘いは明朝から真夜中まで続く

それは彼がみんなを愛しているから

そしてみんなが彼に望むから

でも彼は思い出にしないため 進む

休みたいと想うときもあるだろう

それでも彼は進むんだ

朝も夜も、夜も朝も、ずっと

彼の闘いは稲妻のようだ

彼の動きは驚きで満ちている

彼はいつも謎ばかりだ。誰にも分からない

彼はレンジャーのように働く チャージャーでもついているのか

彼はいつも謎ばかりだ。どうしてなんだ


〜間奏〜

彼の闘いは稲妻のようだ

彼の動きは驚きで満ちている

彼はいつも謎ばかりだ。どうしてなんだ

彼はレンジャーのようだ チャージャーでもついているのか

彼は謎ばかりだ。すげーよ

本当に・・・




この、三沢さんの為に作られたんじゃないかってくらいのリンクっぷり・・・。

「レンジャーのようだ」って部分も、“ちょっともっこり”で御馴染みのディファ有明戦隊ノアレンジャーのことでしょ?(笑)


自分にとって、いや三沢ファンにとって特別な思い入れのあるこのスパルタンX・・・願わくば、7・4の献花式には、この原曲バージョンを流して欲しい。

地上派が終了したときに、日テレに権利があるからとかで、使用出来なくなったと聞きましたが、G+としての契約はまだ残っているんだし、なんとかならないのかなぁ・・・日テレさんお願いします。

でも、実際にこの原曲バージョンなんか会場で流された日にゃ、感情のコントロールが効かなくなりそうだ。

そんな名曲スパルタンXは、三沢さんと共に伝説となって、自分達プロレスファンの記憶の中で永遠に生き続けます!!

| 三沢さん | 19:10 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
鳴り止まない三沢コール・・・
090622_2140~02.jpg
三沢さん…


本当に


本当に



今まで夢と希望と元気と勇気と感動と…


いっぱい、いっぱい



ありがとうございました!!
| 三沢さん | 22:07 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
男・三沢光晴

今日はこれから、三沢さん永眠後初の関東での大会にして、『Southrun Navig.'09』最終戦の後楽園ホール大会があります。

 
小橋建太…プロレス道継承宣言!!

この日記で、三沢への追悼の思いを綴った小橋さんの記事を紹介しましたが、改めて三沢さんとの距離が近ければ近いほど、気持ちを整理するのは時間を必要とするんだなっていう、当たり前のことを実感しました。

ネット上のブログやサイトでも、様々な団体の様々な選手が三沢さんを偲んだ日記を書いています。

その中でも、自分が心に残った選手の日記をいくつか紹介させていただこうと思います。

ただ、三沢さんのことを日記に書いてないから、追悼コメントを出してないから、そういった短絡的な理由だけで、三沢さんの死を悲しんでいないと決めつけるような受け取り方をするのは間違っていると自分は思います。

小橋さんの日記のところにも書きましたが、言葉にならない、語り尽くせない想いを自分の胸の中だけにしまっている人や選手もいるはずだから・・・それを身勝手にせかしたり囃したてたりするのはおかしいし、まず第一にプロレスファンである前に、人として・・・よく考えてほしいと思います。



秋山社長の徒然日記

ある意味でリングの上で闘っている時は悲しい気持ちが紛れるという部分もあるかもしれません、しかし秋山さんは今回こういうことになって欠場している身で、頭の中では常に色々な思いが交錯しているんでしょうね・・・。

博多大会での、涙ながらの挨拶と、告別式等での沈痛な表情を見て心配していました。これから色々な重圧がのしかかってくることも想像すると、今は今だけはゆっくりと心と体を休めて欲しいと願います。


不死鳥ハヤブサのブログ『愛と勇気とあるこ〜る』
リンクしてある日記を含め、3つの日記に三沢さんとの思い出の日々が綴られています。自分達がよく知っている優しさや愛情に満ちた三沢さん。そして自分達が知ることが出来なかった苦悩や悲しみの中にある三沢さんの素顔がそこにはありました。

人生社長と一緒に車椅子で告別式に参列されていたハヤブサさん。三沢さんへの想いが伝わってくる素晴らしい日記をありがとうございました。きっとハヤブサさんのこれからの頑張りを三沢さんも応援してくれていると思います!頑張れ不死鳥ハヤブサ!!


『バチバチはつらいよ』池田大輔の風天日記 
とても大ちゃんらしい気持ちの表わし方です。一時期同じ団体…そして同じグループの中で一緒に戦ってきた同志が、袂を分かってからもこういう関係でいたということがとても心癒される思いがしました。お互い男気がある者同士で通じるモノも多かったんでしょうね。三沢さんの親分肌気質は大ちゃんがしっかりと受け継いでくれている…そんな気がします。


三田佐代子の猫耳アワー第34回 鳴りやまないスパルタンX

「リング上で死ねたら本望だなんて、そんなの絶対嘘です。そんなこともう二度と誰にも言って欲しくない。」この言葉が特に印象的で、前の日記でも引用させていただきました。三田さんのこのブログは、いつも愛情がだだ漏れ状態で・・・選手と近い場所にいるからこその思いやエピソードを、ファン目線で届けてくれて、それでいてしっかりとレスラーへの敬意を感じさせる、素晴らしいブログだと思います。リンクしてあるこの日記も在りし日の三沢さんの素の表情が垣間見えて心に染みてきます。

そして、テッドさんへの思いをつづった日記も是非よんでいただきたいです。



山本尚史ブログSANCTUARY*悲しい週明け
今、WWEのファーム団体であるFCWで奮闘中の和製ランスケイドこと山本選手のブログでも、レイス親分やデビアス親子や2世レスラー達のコメントが載っています。リンクしてある日記のひとつ前の日記でも、FCWヨーロッパ系の選手や、ROH出身の選手、過去に日本で試合をしたことのある選手からも沢山の着信やメールがあったそうです。

「三沢さんがいかに世界的に偉大なレスラーだったかがわかります。」山本選手のこの言葉を痛感させられます。


OMASUKI FIGHT 「三沢逝去続報」
そして、このブログでは現在ノア参戦中のクリス・ヒーローのコメントを載せてくれています。


どれほど深いショックを受けたかを表現する言葉がない。とにかく信じられない。圧倒的に悲しい。

リングサイドにいて、時間が止まったように思えた。これまでの人生で今夜ほど、自分の闘魂が他人に乗り移って欲しいと思ったことはない。ファンは三沢コールを繰り返していた。ヒーローに立ち上がって欲しくてたまらなかったんだ。たちあがれよ、ほら、たのむから。あなたはこんな風になるにはタフすぎる。強すぎる。僕は彼のブーツを脱がせ、彼が連れて行かれるまでそれを抱えていた。

僕は彼の家族のことを思う。彼の生徒のことを思う。そして彼の同僚。友人。ファン。彼の今夜の対戦相手とパートナーのことを思う。フリークなアクシデントだ。誰も悪くない。

シャチョウ、安らかに眠って欲しい。



その深いショックが伝わってくるようで、胸を締め付けられます。今日の大会にもヒーローは出場します。今日もそしてこれからも、青い目の三沢ism継承者としてNOAHを一緒に盛り立てていって欲しい。


上で紹介したブログの日記の中での三沢さんは、誰に対しても優しさと気遣いの心で接していました。そして、だからこそ余計に関わった人の心にしっかりと残っているんでしょうね。なんかそれが、とても印象的でした。

誰よりも強くて、誰よりも優しい・・・。これほど理想の男性像ってありますかね?

リング上で闘ってきたプロレスラーとしての三沢さんの生き様に惚れたのが、プロレスファンへの入り口だった。でも一人の人間としての魅力にも惹かれていたんだってことを改めて実感させられました。

格好良いよなぁ・・・三沢さん格好良すぎるよ・・・。

| 三沢さん | 18:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
あの三沢さんの名調子とザ・リーヴに乾杯!

三沢さん引退レスラーの人生サポート計画

13日の試合で亡くなったノアの三沢光晴さん(享年46)が、プロレスラーの「再就職サポート」に着手していた。19日、ノアの仲田龍統括本部長(47)が明かした。引退した選手の受け皿となる飲食店の出店も計画中で、11年春に本格的に動きだす予定だった。

 夢実現へ、すでに三沢さん自らが動いていた。昨年、CM契約をしている不動産仲介業などを手掛けるザ・リーヴの佐藤和弘社長と30回以上顔を合わせ、不動産業のノウハウを聞いた。神奈川県内の知人の飲食業オーナーとは、共同出資で新店舗出店プランが進行中で、引退したレスラーの受け皿になる構想を描いてた。「2年間かけてシステムづくりをして、11年春には形になる予定だった」と仲田本部長は話した。
 
 「辞めていく人、辞めていかざるを得ない人のことをいかにサポートできるか。そのことを常に話していた。いろいろ勉強を始めていたのに」と仲田本部長。プロレスを愛し、プロレスラーを愛した、いかにも三沢さんらしい発想と行動。この情熱をプロレス界が引き継いでほしい。(ニッカンスポーツ)

_______

キッカケは、31歳という若さで頚椎損傷の為に引退した浅子さんがトレーナーになるまでの過程で、決して選択肢が広くはない、レスラーの再就職の難しさを感じたことだったそうです。

また、「引退したレスラーの仕事先を手伝えるシステムをつくる」。急死する4日前、9日の静岡大会の控室で、仲田本部長はあらためて三沢さんから聞かされた。それが最後の会話になったともあります。

そんな三沢さんの愛情と優しさに満ちたこの計画を聞かされていた龍さんは、自らがこの計画を引き継いでいくと語っていたそうです。

プロレス界統一コミッションの設立、臓器移植法案の可決、そしてこの引退レスラーの第2の人生サポート計画。生前、三沢さんが願ってやまなかった夢が、今それぞれの形で実現に向けて着実に動き出しています。

これから、三沢さんに安心してプロレス界を見守っていってもらう為にも、そして今リングに上がっている選手達が「悔いなく、やり尽くす」という三沢さんの遺志を継いで、心おきな闘っていけるように・・・この三沢さんの夢が叶うように…頑張って下さい龍さん!!


そして、この計画実現に向けて動いていた三沢さんが、不動産のノウハウを聞く為に30回以上顔を合わせ、共同出資のプランもあったというザ・リーヴの佐藤和弘社長が、何とも男気溢れる決断を下してくれました↓

三沢さん「ザ・リーヴ」CMで生き続ける


もともと大のプロレスファンという佐藤社長は、横浜市内で取材に応じ、三沢さんの急死に「まだ信じられない。自分自身、実感がわかないでいる」と、心境を打ち明けた。三沢さんの死後は、CMを公開している同社の公式サイトにアクセスが集中。14日にはページが表示できないなど、ファンからの反響も大きかった。それもあって、

「ほとんど僕の独断で」放送継続を決めた。

「次は格好いい三沢さんのCMにしたかった」と同社長。「ご遺族やファンの方の許しが得られ、条件がクリアされたら、三沢さんにCGでもいいから出てもらいたい」と、強くてたくましい三沢さんをCMでよみがえらせる計画も打ち明けていた。(gooスポーツ)

______


自分は、三沢さん逝去後初のテレ東ゴットタン枠(毎週水曜深夜)で、このCMと継続を知らせるテロップを見た時には、本当にジーンときました。

三沢さんの男気が乗り移ったかのような、この佐藤社長の英断にはとにかく感謝の気持ちでいっぱいです。

地上波のCMで、三沢さんのあの名調子(笑)を見る度に…湿っぽい空気を吹き飛ばしてくれるような気がします。

ただ、ぶっちゃけ・・・新バージョンが作られるなら、あの美声もなんとかIT技術を駆使していただいて・・・って、まぁ三沢さん。あの歌声も「どんまい」ってことですよね!

ともあれ、プロレスファンはあの名調子とザ・リーヴの佐藤社長に乾杯だ

| 三沢さん | 19:56 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
小橋建太…プロレス道継承宣言!!
090621_0911~01.jpg

20日に発売された「三沢光晴緊急追悼特集号」

その中のノア所属選手の追悼メッセージに小橋さんや小川の名前は無かった。

小橋建太、小川良成、天龍源一郎、川田利明…

これらの選手達の三沢さんとの関係の深さは、そのまま悲しみの深さに比例しているんだと思う。

そして、その悲しみの深さの分だけ、気持ちの整理には時間を要するんだということを本当のファンならば誰もが理解していた…。


昨日サムライTVでOAされた三沢さん逝去翌日の6・14博多大会。

セミの6人タッグ戦で高山組を相手に鎮魂チョップ126発を叩き込む熱闘を終えバックステージに辿り着いた小橋さんは、待ち構えていた報道陣に「出来ない、(話は)出来ない」とだけ言い残し、扉の向こうに姿を消した。

翌日の6・15鹿児島大会でも無言を貫き、2日後の潮崎豪GHC王座戴冠後、初の地元凱旋となった6・16熊本大会。

メインのタッグマッチで愛弟子・伊藤を引き連れて、新王者として故郷に錦を飾らんとする豪と相対した小橋さんは、試合では熱いチョップ合戦で観衆を沸かせたが、試合後もやはり無言のまま会場を後にした。

関係者は「社長が亡くなってから笑顔を見たことがない」と証言し、小橋さん自身「亡くなったとは…。いまだに信じられない…」とこぼしていたという。多くの選手が現実を受け止め、前を向き始めている中、小橋さんだけが時計の針を進めることができずにいた。

前出の関係者は「(小橋さんは)三沢さんが控室にいると思っている。ケジメとして、密葬が終わるまでは口を開くことはないと思う」と小橋さんの気持ちを代弁した。(17日付け東スポより要約して抜粋)


そして、1日のオフを挟み都内の寺院で三沢さんのお通夜が営まれていた同じ日に愛知で開催された6・18Zepp Nagoya大会。

本当なら三沢さんの47回目のバースデーになるはずだったこの日。これまでコメントを拒否していた小橋さんが、ようやく前向きな言葉を発した。

「三沢さんの弔いは試合でガンガンやるだけだと思っている。博多、鹿児島、熊本と試合は何も変わらないよ」。

「それ以上(のコメント)はまた」

事故以降、試合前は控室に閉じこもっていたが、この日はリング上でトレーニング。三沢さんの最後の対戦相手となった斉藤に近づき「大丈夫?」と気遣うシーンもあった。(19日付け東スポより要約して抜粋)

そして、19日に営まれた告別式に参列したことで、上記にあったように一つのケジメをつけた小橋さんは、これまで胸に秘めていた事故当日の13日からこの日までの、思いの丈を…20日付けの東スポにて存分につづった。


【小橋独占手記】

〜三沢さんの声聞こえた〜

あの夜、選手たちはホテルで待機していた。いち早く「社長が亡くなった」という連絡が来て、ジョー樋口さんと伊藤旭彦を連れてホテルを飛び出し、病院に駆けつけた。一報を聞いた時は信じられなかった。三沢さんが亡くなったのが午後10時10分でオレが病院に着いたのは27分だった。

すぐに三沢さんと対面した。本当は家族の許可がないとダメなんだけど、こういう状態なので特別に許してもらった。どんな技を受けても起き上がってきた人だから、いまにも起き上がってきそうな表情だった。たまらず「触っていいですか?」と許可をもらい、手を握った。

ずっと、ずっと、三沢さんの手を握っていたんだ。やっぱり冷たくなっていた…。でも現実を受け止められない。

まだ生きているような気がしてさ。その日はホテルに戻った後も、ボーッとして、知らない間に時間がたっていた。

脳には異常がなかったと聞いているし、受け身に失敗したわけじゃない。たまたまケガが起こってしまったけど、それなのに最後の対戦相手になった斉藤さんの家族に嫌がらせがあったと聞いている。

この前、斉藤さんと話をした。「プロレスを好きで見てくれている人の行為じゃない。(マスコミに)呼びかけて大きく載せてもらおうか?」。そう言ったけど、斉藤さんは遠慮していた。嫌がらせをしたファンにオレは言いたい。そんな行為をするなら、もっと違うところにパワーを使ってほしい。それでなくとも斉藤さんは傷ついている。プロレスラーは死と隣り合わせで必死に戦っている。どんな技も危険だということを分かってほしい。

選手と社長の両立は大変だし、苦悩もあったと思う。でも否定的に思いたくない。「やらないと」という気持ちが、逆に三沢さんのモチベーションになっていた。ファンも「試合で亡くなった」って思うんじゃなく、「試合で伝説になった」と思ってほしい。プロレスをまっとうしたことを誇りに思ってほしい。

三沢さんが肌で教えてくれたことはたくさんある。戦いの中で「この人とだったら、どこまでもいける試合ができる」っていつも思ってた。だから5回もベストバウトに選ばれたんだし、心から三沢光晴というレスラーを尊敬していた。1997年1月に大阪でやった三沢さんとの3冠戦前、お袋に「この試合で死んでも、三沢さんを恨まないでくれ」って電話したのも、それだけの気持ちだったからなんだ。

腎臓がんで欠場中も、復帰できるか分からないオレの無念を背負って、三沢さんはGHC王者としてリングに上がってくれた。体がボロボロだったのに。励みになったし、火を付けてくれた。

今日まで、オレはマスコミにほとんど話をしなかった。広島の後も試合が続いていたし、自分の気持ちが途切れるのが怖かったんだ。試合をやると決めた以上、120%のファイトをするのがプロレスラーだと思うし、三沢さんから受け継いだのが、そういう精神だった。三沢さんがジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さんから引き継ぎ、オレが三沢さんから受け継いだ「プロレス道」だった。

今日、火葬場で三沢さんの骨を拾った。手を合わせながら、オレからは「これまでありがとうございました」としか言葉が出てこなかった。でも三沢さんから確かにメッセージを受け取った。「お前がプロレス道を守っていってくれ」って。絶対に守っていかないといけない。そしてオレが引退する時に、次の人に引き継がなければ。

みんなつらいけど、オレはみんなの心を盛り上げるために、率先して熱いファイトをする。

いまオレがやらないで、誰がやるんだ。

尊敬する先輩であり、ライバルだった三沢さん。オレの鼻を複雑骨折させ、前歯を折るほどの、世界一のエルボーの持ち主だった三沢さん。

本当にありがとうございました。(小橋建太)

◇ ◇ ◇ ◇


泣けて、泣けて…その涙の分だけ胸に響いてきました。

きっと言葉に出来ない、語り尽くせない想いがずっと脳裏を駆け巡っていたんだと思います。

「お前がプロレス道を守っていってくれ」確かに聞こえた三沢さんからのメッセージ。

ただ、このメッセージを受け取る前から、三沢さんがいないこのリングをいつも以上のファイトで牽引する思いが小橋さんの中にはあって、だからこそシリーズが続く中で感情を吐き出すことで「自分の気持ちが途切れるのが怖かったんだ」と思います。


「いまオレがやらないで誰がやるんだ。」

この言葉には胸が熱くなりました。

でもね小橋さん。

三沢さんの精神をしっかりと受け継いで、ノア生え抜き初のGHC王者となった豪がいるじゃないか!

KENTAがいるじゃないか!彰俊がいるじゃないか!

ノアの全選手の中に三沢さんの魂が息づいているはずだ!

だから、自分一人で色々抱え込まないで、負担を背負い込まないで仲間と一緒になって前へ進んでいって欲しい。

そして、そんなみんなの思いや気持ちを中心になって束ねていけるのは小橋さんしかいないんだから!

だから、くれぐれも無理はしないで…引退をする日まで、三沢さんから受け継いだ「プロレス道」を次世代の選手に引き継ぐその日まで、

熱いチョップとバーニングファイトを三沢さんの分まで僕らに見せて下さい。


そして、そんな小橋さん始めノアの全選手は三沢さんの遺志を継いで…ぶっちゃけ!やるしかない!んだから、三沢さん天国からしっかりと見守っていて下さいね!

天国で再びあの熱血チョップで色白の肌を真っ赤にするような日が来る…その時まで。
| 小橋さん | 09:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
7・4(土)三沢光晴お別れ会〜正式決定〜
−三沢光晴お別れ会−
〜DEPARTURE〜(献花式)


■日時
7月4日(土)
・一般受付14時〜

■場所
ディファ有明

※敷地内に駐車スペースはございません
※公共交通機関をご利用ください


■ご参列いただく方へ
皆様にお花を手向けて故人を偲んでいただきたく存じます。

誠に厚かましいお願いではございますが、献花用のお花をご用意ください。

また、当日は多くの皆様のご参列も予想され、長時間、屋外でお待ちいただく恐れもあります。

暑さ対策など、十分ご注意ください。


______


三沢さんのお別れ会が『献花式』という形を持って7月4日に執り行われることが公式にリリースされました。

まさか久しぶりのディファ有明にこういう形で行くことになるとは思いもよりませんでしたが、

この日をケジメにするつもりで、自分なりの色々な想いを…感謝の気持ちを…三沢さんに伝えてこようと思っています。

そしてノアファンとして一つ願うのは、今回この日程での献花式にやむを得ない理由で参加出来ない方々の為にも、何らかの形で直に三沢さんを送る場を設けて頂きたいということ。

まだそんなに先のことまで色々決められる状況ではないんでしょうが、もし追悼興行という形で開催出来るならば…


それは是非とも武道館でやって欲しい!!


あの思い出がいっぱい詰まった武道館で…。


そして当日を迎える前に、まずは22日の後楽園ホール大会で今の気持ちを思いっ切りぶつけてきます!
| NOAH | 02:03 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
永遠のヒーロー

三沢さん200人に送られ笑顔で旅立つ(ニッカン)

 三沢さんが、満面の笑みで旅立った。13日の試合で急死したノアの社長でプロレスラーの三沢光晴さん(享年46)の告別式が19日、東京・中野区の宝仙寺で営まれた。密葬にもかかわらず、当初予定していた2倍の約200人が参列。最後はノアの百田光雄副社長、歴代タッグパートナー、歴代付け人らに担がれて出棺された。遺影はレスラーの顔ではなく、レーシングスーツ姿の満面の笑み。三沢さんが悲しみに沈む人たちを、元気づけているようだった。法名は釋慈晴(しゃくじはる)。お別れの会は7月4日に東京・ディファ有明で行われることが正式に決まった。

遺影の中の三沢さんは、最高の笑顔だった。午後0時11分、三沢さんを乗せた霊きゅう車から、惜別のクラクションが鳴り響いた。田上が、秋山が、別の車に乗り込んでいた小橋が、うつむき唇を震わせた。佐々木は手すりにつかまって肩を落とした。しかし、長男康真(しずま)さんが手にしていた遺影は、満面の笑みだった。参列者たちを逆に励まし、勇気づけるような、まぶしい笑顔だった。

遺影は家族の意向で選定されたという。リングの上の栄光の瞬間でも、社長としての普段のスーツ姿でもない。レーシングスーツを着て、笑っている写真だった。ノア旗揚げ間もない00年に1度だけ参戦した「筑波ナイター耐久レース」を前にした1カット。底抜けに明るい表情だった。選定の理由は明らかにされなかったが、ノアの社長兼トップ選手として、責任を背負い続けてきた。だから最後くらいは解放させてあげたい、という家族の配慮もあったのかもしれない。

この日午後3時半、夫人が位牌(いはい)、長女が遺影、長男が遺骨を持って無言の帰宅。最後に自宅に立ち寄った、6月8日の東京・八王子大会後以来11日ぶり。戦いの毎日だった三沢さんが、ようやく安らかに眠った。


090620_2105~01.jpg

このご家族が選んだ遺影の写真からは、確かに"最後くらいは開放させてあげたい”という心情が伝わってくるような気がします。

社長兼レスラーという肩書き以前に、ご家族にとっては、たった一人の父親だったんですもんね。

祭壇には三沢さんが生前好んで収集していた、ウルトラマンや仮面ライダーのフィギュアが20〜30体飾られ、棺(ひつぎ)にも納められたという。

リングの上ではプロレスファンから“ヒーロー”として愛されていた三沢さんも、リングを降りれば自らが“(特撮)ヒーロー”を愛していた。

そんな特撮ヒーロー好きという趣味も、自分らファンからすれば数ある三沢さんの顔の中のある一面でしかないんだけど、きっとご家族にとっては、童心に返って趣味に没頭する三沢さんの顔こそがリングの上や社長としての顔よりも一番身近に感じられるものだったんだろうな。上の一文を見て改めてそう思いました。

そして今日、特撮ヒーロー好きの友人からメールで、

「いつも見ている特撮サイトに三沢の追悼コメントがいっぱい載ってた」

と知らされて、三沢さんは自分が大好きだった特撮ヒーローのファンからも愛されてたんだなぁ・・・きっとそれは三沢さんも喜んでるだろうなぁって、そう思うとジーンと来ました。


自分達プロレスファンにとって、三沢光晴という存在はTVの中のどんなヒーローよりも夢と希望と感動を与えてくれた。

一番身近で等身大の真のヒーローだったと思います!


そしてこれからも・・・三沢さんは、オレ達の永遠のヒーローです!

今まで本当にお疲れ様でした。

| 三沢さん | 20:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
緑の軌跡
090619_1752~01.jpg
三沢光晴 緑の軌跡


■三沢最後の相手、斉藤彰俊の独白

「相手を殺したりするという意味で死神を語ったことはありません。共感を持てない方々がいることも理解しています。しかし、これは自分の生き方、生涯背負っていく信念」


■仲田龍統括本部長が語る三沢光晴との思い出

「社長の引退試合をコールしたかった(涙)」

______


限られた時間の中で、通常の業務と平行して入稿作業を担当したノア担当の井上記者と佐久間編集長。

一人でも多くの人に、三沢さんの素晴らしさや数々の輝かしい功績を知ってもらいたいという一心で作業に取り組んだ。

作業の合間を縫って、火曜日のSアリーナに参加した佐久間さんはそう語っていました。

そして、サムライTVのノア広島大会の中継で解説として出演した佐久間さんは、三沢さんの最期の入場シーンと選手コールの映像の後、こらえきれずにこれまで抑えていた感情が涙と共に溢れ出て…泣きじゃくっていました。


三沢さんの魂は、レスラーやファンの中には勿論、その生き様を自分達に伝えてきてくれた週プロの記者の皆さんの中にも、しっかりと息づいている筈。


その熱い想いが詰まったこの一冊を、三沢ファンとしてしっかりと受け止めようと思います。
| 三沢さん | 23:18 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
温かく見守ってくれていると信じています!
090619_1837~01.jpg
今日のみちのくプロレス後楽園大会。

試合前、テッド・タナベさんの追悼セレモニーが行われました。

テッドさんの遺影をサスケさんが、そして三沢さんの遺影を持ってリングに上がった人生社長は本日行われた三沢さんの告別式に参列されてきたそうです。

「プロレス界の先頭を走っていた三沢さんが亡くなられたこと。深い悲しみと大きな不安が心をよぎります。」

同じ社長という立場から、その心情は他の選手とはまた違ったものの筈…まさに、偽らざる胸の内だと思う。

当初の名目上は、テッドさんの追悼セレモニーだったんですが、人生社長が抱えていた三沢さんの遺影を見つめながら、テッドさんと三沢さんに向けての追悼テンカウトゴングを聞きました。

この日は、テッドさんを送り出すつもりで来たのに…。

色々な想いが溢れてきて、たまらなくて、どうしようもなかった。


そんなしんみりとした空気が館内を包む中、マイクを持ったサスケさんの「今日はテッドさんと三沢さんの二人が温かい目で見守ってくれていると私は信じています!」という言葉が胸に染みてきました。


これからも、リング上の選手達は闘い続ける、ファンの為に…団体の為に…プロレス界の為に?

いや、誰の為でもなく自分自身の為に闘い続けて欲しい!

プロレスというジャンルに誇りを持って!

現状に満足せずに、常に高みを目指して、後で決して悔いることのないように完全燃焼の闘いを…世間に届くような勢いで見せていって欲しい!

次世代の全選手にそう願います!

そうすることが、三沢さんの願いであった「プロレスをメジャーなスポーツに!」という夢の実現に少しでも近づいていくと信じて、自分達は声援を送り続けます!


三沢さん、そしてテッドさん、ノアをみちのくを…そしてプロレスをこれからも宜しくお願いします!!
| 三沢さん | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
| 1/2PAGES | >>