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プヲタピーターパン症候群・・・略してプヲターパンがお届けする熱さの押し売りブログ 〜欲しがりますよ勝つまでは〜
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小橋建太…プロレス道継承宣言!!
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20日に発売された「三沢光晴緊急追悼特集号」

その中のノア所属選手の追悼メッセージに小橋さんや小川の名前は無かった。

小橋建太、小川良成、天龍源一郎、川田利明…

これらの選手達の三沢さんとの関係の深さは、そのまま悲しみの深さに比例しているんだと思う。

そして、その悲しみの深さの分だけ、気持ちの整理には時間を要するんだということを本当のファンならば誰もが理解していた…。


昨日サムライTVでOAされた三沢さん逝去翌日の6・14博多大会。

セミの6人タッグ戦で高山組を相手に鎮魂チョップ126発を叩き込む熱闘を終えバックステージに辿り着いた小橋さんは、待ち構えていた報道陣に「出来ない、(話は)出来ない」とだけ言い残し、扉の向こうに姿を消した。

翌日の6・15鹿児島大会でも無言を貫き、2日後の潮崎豪GHC王座戴冠後、初の地元凱旋となった6・16熊本大会。

メインのタッグマッチで愛弟子・伊藤を引き連れて、新王者として故郷に錦を飾らんとする豪と相対した小橋さんは、試合では熱いチョップ合戦で観衆を沸かせたが、試合後もやはり無言のまま会場を後にした。

関係者は「社長が亡くなってから笑顔を見たことがない」と証言し、小橋さん自身「亡くなったとは…。いまだに信じられない…」とこぼしていたという。多くの選手が現実を受け止め、前を向き始めている中、小橋さんだけが時計の針を進めることができずにいた。

前出の関係者は「(小橋さんは)三沢さんが控室にいると思っている。ケジメとして、密葬が終わるまでは口を開くことはないと思う」と小橋さんの気持ちを代弁した。(17日付け東スポより要約して抜粋)


そして、1日のオフを挟み都内の寺院で三沢さんのお通夜が営まれていた同じ日に愛知で開催された6・18Zepp Nagoya大会。

本当なら三沢さんの47回目のバースデーになるはずだったこの日。これまでコメントを拒否していた小橋さんが、ようやく前向きな言葉を発した。

「三沢さんの弔いは試合でガンガンやるだけだと思っている。博多、鹿児島、熊本と試合は何も変わらないよ」。

「それ以上(のコメント)はまた」

事故以降、試合前は控室に閉じこもっていたが、この日はリング上でトレーニング。三沢さんの最後の対戦相手となった斉藤に近づき「大丈夫?」と気遣うシーンもあった。(19日付け東スポより要約して抜粋)

そして、19日に営まれた告別式に参列したことで、上記にあったように一つのケジメをつけた小橋さんは、これまで胸に秘めていた事故当日の13日からこの日までの、思いの丈を…20日付けの東スポにて存分につづった。


【小橋独占手記】

〜三沢さんの声聞こえた〜

あの夜、選手たちはホテルで待機していた。いち早く「社長が亡くなった」という連絡が来て、ジョー樋口さんと伊藤旭彦を連れてホテルを飛び出し、病院に駆けつけた。一報を聞いた時は信じられなかった。三沢さんが亡くなったのが午後10時10分でオレが病院に着いたのは27分だった。

すぐに三沢さんと対面した。本当は家族の許可がないとダメなんだけど、こういう状態なので特別に許してもらった。どんな技を受けても起き上がってきた人だから、いまにも起き上がってきそうな表情だった。たまらず「触っていいですか?」と許可をもらい、手を握った。

ずっと、ずっと、三沢さんの手を握っていたんだ。やっぱり冷たくなっていた…。でも現実を受け止められない。

まだ生きているような気がしてさ。その日はホテルに戻った後も、ボーッとして、知らない間に時間がたっていた。

脳には異常がなかったと聞いているし、受け身に失敗したわけじゃない。たまたまケガが起こってしまったけど、それなのに最後の対戦相手になった斉藤さんの家族に嫌がらせがあったと聞いている。

この前、斉藤さんと話をした。「プロレスを好きで見てくれている人の行為じゃない。(マスコミに)呼びかけて大きく載せてもらおうか?」。そう言ったけど、斉藤さんは遠慮していた。嫌がらせをしたファンにオレは言いたい。そんな行為をするなら、もっと違うところにパワーを使ってほしい。それでなくとも斉藤さんは傷ついている。プロレスラーは死と隣り合わせで必死に戦っている。どんな技も危険だということを分かってほしい。

選手と社長の両立は大変だし、苦悩もあったと思う。でも否定的に思いたくない。「やらないと」という気持ちが、逆に三沢さんのモチベーションになっていた。ファンも「試合で亡くなった」って思うんじゃなく、「試合で伝説になった」と思ってほしい。プロレスをまっとうしたことを誇りに思ってほしい。

三沢さんが肌で教えてくれたことはたくさんある。戦いの中で「この人とだったら、どこまでもいける試合ができる」っていつも思ってた。だから5回もベストバウトに選ばれたんだし、心から三沢光晴というレスラーを尊敬していた。1997年1月に大阪でやった三沢さんとの3冠戦前、お袋に「この試合で死んでも、三沢さんを恨まないでくれ」って電話したのも、それだけの気持ちだったからなんだ。

腎臓がんで欠場中も、復帰できるか分からないオレの無念を背負って、三沢さんはGHC王者としてリングに上がってくれた。体がボロボロだったのに。励みになったし、火を付けてくれた。

今日まで、オレはマスコミにほとんど話をしなかった。広島の後も試合が続いていたし、自分の気持ちが途切れるのが怖かったんだ。試合をやると決めた以上、120%のファイトをするのがプロレスラーだと思うし、三沢さんから受け継いだのが、そういう精神だった。三沢さんがジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さんから引き継ぎ、オレが三沢さんから受け継いだ「プロレス道」だった。

今日、火葬場で三沢さんの骨を拾った。手を合わせながら、オレからは「これまでありがとうございました」としか言葉が出てこなかった。でも三沢さんから確かにメッセージを受け取った。「お前がプロレス道を守っていってくれ」って。絶対に守っていかないといけない。そしてオレが引退する時に、次の人に引き継がなければ。

みんなつらいけど、オレはみんなの心を盛り上げるために、率先して熱いファイトをする。

いまオレがやらないで、誰がやるんだ。

尊敬する先輩であり、ライバルだった三沢さん。オレの鼻を複雑骨折させ、前歯を折るほどの、世界一のエルボーの持ち主だった三沢さん。

本当にありがとうございました。(小橋建太)

◇ ◇ ◇ ◇


泣けて、泣けて…その涙の分だけ胸に響いてきました。

きっと言葉に出来ない、語り尽くせない想いがずっと脳裏を駆け巡っていたんだと思います。

「お前がプロレス道を守っていってくれ」確かに聞こえた三沢さんからのメッセージ。

ただ、このメッセージを受け取る前から、三沢さんがいないこのリングをいつも以上のファイトで牽引する思いが小橋さんの中にはあって、だからこそシリーズが続く中で感情を吐き出すことで「自分の気持ちが途切れるのが怖かったんだ」と思います。


「いまオレがやらないで誰がやるんだ。」

この言葉には胸が熱くなりました。

でもね小橋さん。

三沢さんの精神をしっかりと受け継いで、ノア生え抜き初のGHC王者となった豪がいるじゃないか!

KENTAがいるじゃないか!彰俊がいるじゃないか!

ノアの全選手の中に三沢さんの魂が息づいているはずだ!

だから、自分一人で色々抱え込まないで、負担を背負い込まないで仲間と一緒になって前へ進んでいって欲しい。

そして、そんなみんなの思いや気持ちを中心になって束ねていけるのは小橋さんしかいないんだから!

だから、くれぐれも無理はしないで…引退をする日まで、三沢さんから受け継いだ「プロレス道」を次世代の選手に引き継ぐその日まで、

熱いチョップとバーニングファイトを三沢さんの分まで僕らに見せて下さい。


そして、そんな小橋さん始めノアの全選手は三沢さんの遺志を継いで…ぶっちゃけ!やるしかない!んだから、三沢さん天国からしっかりと見守っていて下さいね!

天国で再びあの熱血チョップで色白の肌を真っ赤にするような日が来る…その時まで。
| 小橋さん | 09:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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