2009年12月29日スティーブ・ウィリアムスさん逝去
昨年末に飛び込んできたこの悲報…咽頭癌のため、49歳の若さでこの世を去ったウィリアムスさん。プロレス界はまた一人偉大なレジェンドを失うことになってしまいました。
今日29日は月命日にあたります。追悼の意を込めてこの日にウィリアムスさんの思い出を綴ろうと思います。
“殺人医師”スティーブ・ウィリアムス
90年代の全日本プロレスに熱狂させられた自分達にとって特別な感情を抱かせてくれる選手でした。
ここでぶっちゃけてしまうと、自分は90年代後期の四天王プロレス時代よりも、外国人四強やジャンボ鶴田といった強大な壁にぶつかっていく超世代軍を応援している時代が一番好きでした。
“人間魚雷”テリー・ゴディとのタッグチーム“殺人魚雷コンビ”こそが外国人最強のタッグチームである!
自分の中では今でもその考えに変わりはありません。
ロードウォーリアーズでもスタイナーブラザースでもハンセン&ベイダー組でもない…殺人魚雷コンビこそが外国人ナンバー1タッグなんだ!
90年代初期、WCWにも参戦していた殺人魚雷コンビは、当時新日本プロレス最強タッグと目されていたスタイナーブラザースと全日本vs新日本の対抗戦代理戦争を展開したことがありました。
記憶が確かならば結果は2戦2勝!!
対抗戦なんて夢物語だった時代のこの結果に自分達全日ファンは「やっぱりゴディ&ウィリアムスが最強だ!!」と歓喜した覚えがあります。
また91年の世界最強タッグの最終戦で行われた殺人魚雷コンビvs三沢&川田のフィニッシュシーンは今もしっかりと脳裏に焼き付いています。
ゴディ必殺のパワーボムで川田がマットに叩きつけられ、カウントが進む中発せられた若ちゃんの魂の雄叫び…
「俺達に勝ちたければ…命の百個でも持ってこ〜いっ!カウントスリィ〜〜!!」 思いっきり超世代軍に感情移入しまくった若ちゃんでさえ、そう叫ばずにはいられないくらいの圧倒的な強さをこの名フレーズが物語っていました。
そんな正真正銘の最強タッグである殺人魚雷コンビから翌92年に三沢&川田が初となる世界タッグを奪取した金沢での死闘も今でも強く印象に残っています。
そして、そこでも超世代軍に感情移入しまくった若ちゃんは、思わず
「ウィリアムスが後ろにいるよ!」と実況席から背後に忍び寄るウィリアムスの存在を伝えようとする名場面を生み出し、それもまた当時のゴディ&ウィリアムスの手のつけられない強さを強烈に印象付けてくれました。
他にもいくつも浮かんでくる激闘の記憶…大袈裟でも何でもなくこの当時のビデオは本当に擦りきれるほど見ていたので、この先どんな技が出るか、その時に若ちゃんが何を叫ぶのかがセットになってインプットされているのです。
天に唾する男…スティーブ・ウィリアムス! 真っ赤な顔に岩男のような肉体!ねめつける・・・睨みつけるスティーブ・ウィリアムス!勝利の女神は、力で口説き落とすっ!!激闘と共に記憶されている名フレーズの数々。存在そのものがプロレスしている規格外の語れるプロレスラーでした。
またゴディが内臓疾患で倒れてからは、シングルプレイヤーとしてもその才能を開花させ、94年7月の武道館大会で自身初の三冠ベルトを当時連続防衛記録を更新中だった三沢さんから強奪することに成功します。
その時のこともよく覚え…いや余りにショックで茫然自失となってしまったのでおぼろげな記憶になってしまいますね。ただ勝敗が決した瞬間、武道館の天井を仰いで涙したのはハッキリと覚えています。
そして、ウィリアムスと言えば・・・忘れてはならないのが小橋さんとの関係でしょう。
四天王時代に突入する以前、三沢さんには鶴田さんがいて、川田には田上がいた。ならば小橋さんは自らがトップに昇り詰める手段として外国人四天王に照準を絞ったのです。
その中で、最も熱くて厚い壁となって立ち塞がったのがこのウィリアムスでした。
93年9月に開催される三冠戦で当初の挑戦者であったゴディが内臓疾患に倒れたことで8月31日の豊橋大会において次期三冠挑戦者決定戦が行われることになり、そこで組まれたのがウィリアムスvs小橋健太でした。
この一戦のフィニッシュとなったのが、今や語り草となっている戦慄のバックドロップドライバー3連発!!文字通り垂直にマットへ突き刺さり、フラフラになりながらも起ち上がる小橋さん・・・それは人間のいやプロレスラーの枠さえも超越した歴史に残る死闘でした。
そして、翌94年の9月3日に行われた三冠戦[王者]スティーブ・ウィリアムスvs[挑戦者]小橋健太の一戦は東スポプロレス大賞の年間バストバウトに選出され、ウィリアムス自身も後に生涯のベストバウトに挙げる伝説の名勝負となったのです。
そんな数々の死闘、激闘を通して熱い絆で結ばれていた2人。
2000年の全日本離脱⇒NOAH旗揚げ時のトラブルで、その関係は完全に絶たれてしまったかのように思えました。
しかし、ウィリアムスさん側は行き違いがあったと・・・ずっと三沢さんや小橋さんへの思いを募らせていました。そして2006年の小橋さんの腎臓癌発覚後、同じ癌という病魔との闘いに挑む戦友に2007年の週プロ(No.1361号)誌上において、熱いメッセージを送ったのです。
コバシは今、カムバックするのは夢だと思っているかもしれない。でもドリーム・カムズ・トゥルー。思い続けて努力すれば、夢は必ずかなうものなんだ。もちろん俺は、必ずリングに帰ってくると100%信じている。それに俺の夢もあるから。
―その夢とは?
コバシのカムバック戦にリング上で花束をプレゼントしたい。日本にはたくさんの思い出がある。その中でも一番の思い出は1994年9月3日、ブーダカン(日本武道館)でのコバシとのタイトルマッチ。そしてその試合がマッチ・オブ・ザ・イヤー(ベストバウト賞)に選ばれたこと。今でもあの試合を何度もビデオで見ている。見終わるたびに体から力がみなぎっているのがわかるんだ。俺はコバシのために、そしてそれがNOAHのビジネスのためになるなら協力は惜しまない。コバシとは同じ最大の敵を倒した者同士、もう一度同じリングに立ちたい。その時は闘うんじゃなく握手したい。
―最後に、小橋選手へメッセージを。
ケンタ・コバシ。ユーは俺にとってもっともタフな敵だった。俺もユーにとって最強の敵だったはず。その俺を倒したんだから、いくらガンが俺以上にタフな敵であってもユーが負けるはずがない。〜中略〜 俺もファンもユーが必ずリングに戻ってくることを信じている。そして、また会える日を待っている。ガンバッテ、ガンバッテ!
昨年7月にIWAジャパンで一度は復帰戦のマットを踏みながらも、三沢さんのこともあって悩んだ末に引退を決意。次の来日での10・25新宿FACE大会で引退試合を行う予定でした。
願わくば、思い出の地日本でレスラーとしての幕引きだけでもさせてあげたかった・・・。
そして、そこで花束を持って駆けつけた小橋さんと・・・リングの上で再会して欲しかった。
きっと、あの時代を共に生きたファンはみんなそう願っていたんじゃないかと思います。
↑いにしえにビーズをアイロンでくっつけて自作したウィリアムスw自分達にとって忘れることの出来ない輝かしい青春の1ページ…その時代を駆け抜けたあの強者達が一人また一人と旅立っていく…
以前プロレスの神様は、どんだけ馬場全日本ヲタなんだと書いたことがありましたが、今回の訃報に際して改めてその思いが・・・
↑これは興業用のポスターをポストカードサイズにしたものなんですが、上部にいる世界の巨人と怪物とノアの盟主、そして中央にいる殺人魚雷コンビ・・・これを見ると何とも言えなず切なくて、やるせない気持ちになります。
負けるな!!
そう、だからこそ小橋さんはリング上で生き続けなければいけない。
こんな負の連鎖を断ち切るためにも・・・この時代を生きた同志達の生き様をプロレス道を後世に伝承していくために・・・負けないで欲しい!!
天国のウィリアムスさん・・・今頃はきっと、三沢さんと笑顔の再会を果たしていることでしょう。
そして、ゴディとの殺人魚雷コンビ・・・またの名をSDD(スーパーデンジャラスデュオ)を復活させてまた暴れまわっているのかもしれませんし、オブライトとTOPを再結成しているかもしれませんね。
今も、目を閉じれば甦ってくる・・・リング狭しと縦横無尽に駆け巡る漢達の
『勇士の叫び』が!!
“ドクターデス”スティーブ・ウィリアムスよ永遠に・・・