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プヲタピーターパン症候群・・・略してプヲターパンがお届けする熱さの押し売りブログ 〜欲しがりますよ勝つまでは〜
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これからもきっと大丈夫!
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今日7月31日は三沢さんの四十九日です。


あっという間に過ぎていく日々の中で、特にここ最近は心ざわつく日が続きました。

婆ちゃんの容態が急変したのがその理由なんですが、その時自分は「三沢さんお願いします!」と…全日ヲタの神様なんかじゃなく、厚かましくも三沢さんに頼み込みました。


そしたら夢に三沢さんが出てきて、何も言わずにただムフフと笑っていました。

それから、まだまだ予断を許さない状況が続いてますが、ひとまず峠は越えました。

というか、越えさせていただきました。

今夜は、あの夢で見た笑顔の意味を噛み締めながら、グレープフルーツサワーをしこたま飲んで三沢さんを偲ぼうかと思います。


といっても、あの日から毎日三沢さんのことを思っているんで、今日だけ特別にって感じでもないんですけどね。

大体自分は未だに、三沢さんに関する話や映像を目にすると涙腺が緩んでしまいます。

携帯公式サイトでの雅央や志賀のコラムとか、kamiproの足利工大の同級生である渡部優一さんのインタビューとかね。


そんな中、先日放送されたG+の『プロレスクラシック#72三沢追悼特集』を見ました。

91年ファン感謝デーのメインイベント超世代vs鶴田軍の6人タッグマッチ…

○三沢&川田&小橋
(51分32秒 猛虎原爆固め)
J・鶴田&●田上&渕


鶴田が吼える!

三沢が怒る!

川田が蹴る!

田上が突っ張る!

小橋が飛ぶ!

そして、渕が白い!


で、お馴染みのあの伝説の6人タッグマッチ。

この試合、リング上で躍動する6人と共にリングサイドで闘っている男がいました。

その男の名は、若林健治!

プロレスファンから若ちゃん、或いはマンモスと言う愛称で親しまれたこの人の実況から次々に飛び出す熱すぎる魂の名フレーズは当時のファンの五感をビンビンに刺激してくれました。

そして、この試合でも珠玉の名フレーズがこれでもかという勢いで連呼されていたのです。

それはまた別の機会で取り上げるとして、そんな魂のこもった実況の中で…下に紹介する言葉に自分の涙腺は緩むどころか、完全に崩壊させられてしまいました。


「長女かえでちゃんが三沢ファンになりました。

パパの顔がテレビで分かるようになりました。

あの鶴田に追い込まれているとき…

「パパはどうしたの?」

長女の為にも頑張んなきゃいけない!!




何か、この言葉と画面上で歯を食いしばっている三沢さんを見て…色んなことを想像しちゃって…とめどなく涙が溢れてきました。


ただ、三沢さんのことを思うのは後ろを向くことじゃないと田上社長も言ってましたからね。


寧ろ、こうして三沢さんのことを思う度に今のノアを応援しなきゃと強く思わされます!


明日から、ディファに汐留街頭プロレスと連戦がありますが、自分はまだ婆ちゃんのことがあるので、観戦には行けないんですが、今のいい流れを継続して更に上がっていくような大会になることを祈ってます!


最後に、三沢さん…本当にありがとうございました!!
| 三沢さん | 23:13 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
三沢ism最後の方の継承者-2
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行ってきました。田上新体制発足後、初のシリーズ開幕戦!


であると同時に…


この日はなんと!!


我が愛しの甥っ子くんの記念すべき観戦デビューとなったのであります!!!

パチパチパチ〜ッ!(河口仁ism)


ガッチガチのノアヲタである姉夫婦ですが、甥っ子くんが産まれてからはノア観戦から遠ざかっていました。

昼開始の後楽園ホールじゃないと観戦は難しい。

前に姉がそう言っていたのを覚えていた自分は、今回ここぞとばかりにチケットを押さえたのです。


そんなわけで、どうだい甥っ子くん…やっぱり生はいいだろ生は?!


しかしながら超満員のホール内…熱気ムンムンな異空間での初のプロレス観戦…集中力切れからグズったり、奇声を上げたりしないかと散々っぱら気を揉んだんですが…


流石は、我が甥っ子!プヲタの両親を持ち、三沢さんの名を貰い受けただけはある!


お前男だ!!!


休憩なしの約2時間半を泣き出すことなくマナー良く観戦しただけでも私的には満点だってのに…


第4試合終了後、場内が暗転し紫のライトが照らされるやいなや…


「こばしぃーーー!!」


本人入場前にまさかの小橋コール!!


まだ小橋さんの姿が見えていないのにです!!

更に偉いもんで、その小橋さんの試合は特別集中してリング上を凝視し、一生懸命に手拍子を送って応援していました。


いやはや胎教とは恐ろしい…そして何よりも色濃く受け継がれるノアヲタの血恐るべしだ!!


更にサプライズは続きます。百歩譲って元々ファンであった小橋さんへのコールは本能がそうさせたとして、それ以外にこの日甥っ子くんが自主的に名前をコールした選手が一人だけいました。


「あよきーーー!!」


そうです。蒼き流星・青木篤志へのコールですww


前からよく相棒と「青木は分かってる!!」と言ってましたが、


そんな青木を分かっている甥っ子くんは…「分かり過ぎるくらい分かってる!」(笑)


そして、そして…試合は流星先生がまさかまさかの大金星!!


そんな感動の瞬間を目の当たりにし大歓声に館内が沸き立つ中、若干1歳11ヶ月の幼児の口から後世に残る名言が吐かれたのです…


「やっちゃったねぇ…!」


Σ( ̄□ ̄;)!!


自分我が耳を疑いました!

1歳11ヶ月ですよ?

そりゃ最近言葉を覚え出してますけど、人が教えた単語を反復したり、簡単な受け答えが出来る程度ですよ?!


それが…「(青木のやつ大仕事)やっちゃったね!」的なまさかの玄人発言!


お前何年ファンだコラッ!愛(め)で殺すぞ!っていう…笑


これホントにネタじゃねぇですからねヽ(`ω´)ノ


そんな彼の大物っぷりを証明するかのような出来事が観戦後にありました。

姉夫婦の隣に座って観戦していたおばさんが我々一行に話しかけてきたので、年齢とこの日が初観戦であることを告げると…「えー?!家の孫も同じくらいだけどまだ何にも喋れないのに、応援までして凄いわねぇーー!」と何もそんなにってくらいのクリビツっぷりを披露してくれたのです。



ど〜ぅ〜ですかっ?(プロレスニュース風)


このキモさ丸出しの完全無欠のオジバカっぷり!!


読んでる皆さんとの温度差を想像すると…ガクブル状態なんですが、


まぁこの日記はその観戦後から遅くまで飲んでたテンションで書いたもんなんで、どうか大目に見ていただきたい!


とにもかくにも初のプロレス観戦で、その恐るべき潜在能力を如何なく発揮した甥っ子くん。


三沢さんもきっと、ニヤニヤしながら見守ってくれていたんじゃないでしょうか。

そういえば、甥っ子くん観戦中にちょいちょい上を見上げていたんです。

皆で、ん?何かあるの?高いとこ行きたいの?って聞いても反応せずに、その後もちょいちょい上の方をジッと見ていて…。

その時は不思議に思いつつも、そんなに気に留めてなかったんですが、今になって思えば…もしかして…


「えっ見えるの?流石はオレの名前から一文字受け継いでるだけあるよね。ぶっちゃけ今の段階で既に一平よりも見込みがあるんじゃねぇか?(笑)」


な〜んてね┐(≧∇≦;)┌

とにかく、これからも叔父さんはプロレスを通して、我が甥っ子くんに色んなことを伝えていこうと思う所存であります!


いつの日かあのエメラルドグリーンのマットに上がる日が来るその時まで。


三沢さん、その時はまた宜しくお願いします!!
| 三沢さん | 17:51 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
三沢ism最後の方の継承者-1
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後楽園ホールに行く前の日、家に帰ると愛しの甥っ子くんが来ていました!


姉夫婦が引っ越して以来会ってなかったので、やっぱりはじめの内はよそよそしかったけど、しばらくしたら慣れてきて「おにぃ!おにぃ!」となついてきましたw


このクソ暑い中、婆ちゃんの病院に行って元気を与えてきてくれた甥っ子くん。

そんな天真爛漫にスクスク育ち、もうすぐ2歳になる彼の名前は…


三沢さんの名前から一文字貰い受けて名付けられました。


上にある画像は、三沢さん(右)と、もう一人の一文字貰った選手からいただいたサイン。


これは姉夫婦の家宝です。


自分は密かに、この甥っ子くんを会場に連れて行って三沢さんに抱っこしてもらう日をずっと夢見ていました。


もうその夢は叶わないけど、今も会場には三沢さんがいる筈だから…

あのエメラルドグリーンのマットを見て彼にも三沢さんを感じて欲しい。

今ではそう思ってます。


あの悲しい訃報が届いた時、自分より前から三沢さんを応援していた姉はひたすら泣きじゃくって何も手につかない状態になってしまいました。

そんなお母さんを見た甥っ子くんは優しく頭を撫でて慰めてくれたんだそうです。

その優しさで姉はしっかりしなきゃと正気を取り戻すことが出来たと言っていました。


ちゃっかりしてるけど、ええ子やなぁ…(京唄子ism)


自分はそんな甥っ子くんに、三沢さんから貰った名に恥じぬように〜云々言うつもりなど毛頭ありません。


ただ、わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい!(丸大食品ism)


そして、彼が大きくなった時に、お前の名前は、こんなにも偉大な人から貰った名前なんだぞって、三沢さんの試合を見ながらゆっくり一緒に語り合いたい!


だから、お前も「今は今しかさないんだから」…って結局うだうだ言っちゃいそうなんだけども…笑


そんな甥っ子くんの存在が今の自分にとっては最大の癒しを与えてくれます。


NO プロレス NO LIFE!


そして、NO 甥っ子 NO LIFEであります!!
| 三沢さん | 17:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
万感の想いを胸に…新たなる旅立ちの日
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いよいよ7月4日(土)が目前に迫ったある日の夜、当日同行する先輩と何時までに現地に向かえばいいかを話し合いました。

その中でまず、ノア側の5千人という見積もりは甘過ぎるのでは?という話になり、馬場さんの時が2万7千人だったのだから少なくとも同等かそれ以上は行くだろう。

そして、その馬場さんの時は武道館周辺を2時間半くらいかけて並んだ記憶があるので、今回もやはり同じ位かそれ以上の時間はある程度覚悟しようと。

そんな長期戦覚悟で、13時に国際展示場駅前に集合して並ぼうということになった。

時間より少し早く待ち合わ場所に着いたが、先輩は既に来ていて、友人Sもすぐにやって来た。

自分がプロレス観戦する時のレギュラーメンバーがこの3人だ。

他に、高校の友人Nや富○通時代の後輩Oに、前の職場の後輩やら姉夫婦などメンバーの入れ替わりもあるが、基本的に自分を含めたこの3人で、全日時代から後楽園ホールを始めとする関東近県の大会、特に武道館はほぼ皆勤で観戦してきた。

数々の激闘をこの目に焼き付けながら思い出を共有してきた同志達。彼等と一緒ならばこの長期戦例え何時間かかろうとも苦ではない!

そんな思いでディファ有明前に到着すると、敷地内(駐車場)から伸びた人の群れが、道路沿いに延々と続き角を左に曲がっての直線は有明テニスの森駅を軽く越えるほどの長さで列なっていた。

その光景を目の当たりにし、前述した決意が早くも揺らぐ思いがしました…笑

というのは冗談で、最後尾を目指して歩きながら「どんだけ並んでるんだよ?!」口ではそう言いながらも内心では…(この表現が適切かどうか分かりませんが)嬉しかった。

これだけの人が三沢さんを愛していたんだな…そう思うと先のまるで見えないこの行列の長さが三沢さんの偉大さや素晴らしさを表しているかのようで、とにかく嬉しかった…。

そんな感情を抱きながら、ひたすら歩き続けて有明テニスの森駅を越えてまだ少し歩いた橋を渡る途中に最後尾を示す看板があり、ようやくこの長蛇の列に並ぶことが出来た。

汗かきの自分は、家から持ってきたハンドタオルをどこかに落としたらしく、展示場駅横のコンビニでウイダーインゼリー的なパックの凍らせたカルピスと共にフェイスタオルを購入。

そのタオルを首にかけ、氷カルピスをオデコに当て、右手に献花…ならぬ勇気を左手に涙を心に優しく、愛を抱きしめながら時間が過ぎていきました。

並んでいる最中は、しんみりとした空気もなくプヲタトークに花を咲かせていました。今日は涙はいらない。そう決めていたからです。

そんな中、横に目をやると最後尾を目指し献花片手にすれ違っていく人、人、人…その中には自分のプロレス観戦の先輩である姉達や観戦仲間の後輩くんや会場でよく見かける常連さんの姿など、その他にも本当に幅広い層のファンが途切れることなく通り過ぎていきました。


そして、額に当てて体温を下げる役割で買った氷カルピスを余りの美味さに飲み干したことに後悔したり、首に巻いたタオルが無駄に体温を上げていることに気付いて外したら一気に涼しげになって汗が引き始めた頃。

ようやくディファの駐車場が金網越しに見える位置まで辿り着き、時間にして約2時間半が経過していました。

しかし、並んでる間も全く進まない時間はそれほど長くなくて、ちょっとずつだけど前進を繰り返していたので、正味の話そんなに苦ではありませんでした。

そう、ちょっとずつでいいんですよ。ずっと同じ位置で満足せずに、ちょっとずつでも前に進んで行けばいいんです。


それから駐車場のジグザグな流れを抜け、目前に迫ったディファ有明手前のテント下で記帳を済ませ、顔見知りのスタッフさんに挨拶をしていよいよディファ有明内へ待望の入場を果たすと、

見慣れた景色の中に『三沢光晴 栄光の軌跡』と題して、幾多の名勝負や名場面を切り取った記念パネルが数多く飾られていました。

そして、館内に流れるスパルタンX…。

これは?!

自分が強く強く願っていたあの原曲イントストゥルメンタルバージョンのスパルタンX!!!

今日は泣かないと決めていたのに…目に映る記念パネルの中の三沢さんと、耳に懐かしいあのスパルタンXの音色に記憶を呼び起こされ早くも目頭が熱くなっていた。

※スパルタンXは他にも、ニューバージョンとピアノバージョン合わせて3つのバージョンが流れされていました。


その音色に耳を傾けながら場内に入ると、人混みの向こうに見えるリング上は既にエメラルドグリーンのマットを覆い尽くすほどの献花で溢れていました。

そして、見上げた先には等身大の三沢さんの姿がありました。

係の方の誘導に従い、リングの前まで来たところで、自分は手に持っていた献花を精一杯体を伸ばして、そっとコーナーサイドの山の上に乗せました。

上手く言えないけど、投げ入れるってことをしたくなかったんです。

そして、この日まで整理してきた想いを感謝の気持ちと共に伝えました。

涙はありませんでした。22日の後楽園では涙で感情がグチャグチャになって想いを伝えきれなかったから、その時みたいに涙で三沢さんが見えなくならない様に…しっかりと前を見つめながら全ての想いを“ぶっちゃけ”ました。

その想いは、自分の胸の中だけにしまっておこうと思います。


出口付近には、数人の所属選手が交代制で並び、献花を終えたファンに感謝の礼をして送り出してくれていました。

自分達の時には、副社長・百田さん、選手会長・森嶋選手、新チャンピオン潮崎豪、石森選手、マルビン選手。

そして、涙の九州男児・相島選手の姿もありました。

それぞれの選手を見つめながら、礼を返すと…どうしょもなく胸に込み上げてくるものがありました。


最終的に、この日『三沢光晴 お別れ会〜DEPARTURE〜』には公式発表で関係者を含め2万6千人が集まったそうです。

ただ、余りの行列に断念して帰路に就いた方も大勢いたそうなので、もっと大きな会場であれば少なくとも3万人は超えたんじゃないかと思います。

ただ、実際に参加してみてやっぱりディファ有明で良かったんだなって、そう思えました。


9年前に自由と信念を胸にこの地から出航した箱舟の盟主。

今日はそんな箱舟の盟主とのお別れの日なんかじゃなくて、あの日と同じように、今日ここから新たなる船出を迎えるんだ。


区切りとなる新たなる旅立ちの日。

その舞台には、NOAHの聖地ディファ有明以外に相応しい場所はない。

きっと、実際にこの聖地での会に参列したファンの皆さんの多くが、そう感じたんじゃないかと思います。

そして、そんな最高の舞台で素晴らしい会を開いてくれた。選手、スタッフ、関係者の皆さんには感謝の気持ちで一杯です。

更に、あれだけの数の参列者が集まる中で、大きなトラブルもなく、それどころか終了時間を延長してまで並んでいた多くのファンの気持ちに応えてくれた心意気にも重ねて感謝したい。

それと、当初の5千人という見積もりに対してのこちら側の不安が杞憂に終わった裏には、進行にプロの業者を雇って万全を期していた事実があり、実際に予想を大きく上回る人数にも対応してみせたのだから、そのしっかりとした体制作りにも頭が下がる思いです。

それら全てをひっくるめて…関係者の皆さん本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました!



さぁこの日で、気持ちにケジメをつけられたのなら、三沢さんが安心して休めるように…ゆっくりでもいいから、そして無理しないでいいから、それぞれのペースで前を向いて歩き出そう!


『時間は取り戻せない。私は後悔したくない。』


この言葉を胸に、目の前の現実に正面から向き合って…やるしかないよね。

それが、自分なりに三沢さんから学んだことだから。

ただ、もうこんな悲しみは二度と味わいたくないから…


三沢さんこれからのノアをそしてプロレスを宜しくお願いします!!
| 三沢さん | 06:03 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
DEPARTURE
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7月4日

この日が来るまで、あっという間でした。

天気の方はどうやら大丈夫みたいです。ていうか何の根拠もないけど大丈夫だって思ってました。

涙雨なんかいらない。

今日は1日笑顔でいようと思います。

そして、前に日記で書いたように、お別れを言うつもりはありません。

だって三沢さんは、今でも自分達の中で生き続けてるんだからね。

22日に伝え切れなかった想いをありったけの感謝の気持ちと共に伝えようと思います。

前の日記のばーにんぐKさんへのレスでも書きましたが、この日はお別れをする日ではなく、また前を向いて歩き出す為の区切りとなる…新たなる旅立ちの日です。


これが最後だなんて思わないけど、今までの想い全部伝えます。


締めは、グレープフルーツサワーで乾杯だな!
| 三沢さん | 13:39 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
スパルタンX

22日の後楽園で聞いた鳴り止まない三沢コールと・・・スパルタンX

自分は、あのニューバージョンが余り好きになれなかった。

三沢コールがしずらいからとか、まだ聞き慣れるほど聞いていなかったからとか、色々と理由づけをしようとしても結論から言えば、自分にとってのスパルタンXは、あの激闘の記憶が染み付いた・・・三沢さんと共に歩んできたあの原曲バージョンなんですよね。

そんなことを想いながら、昔映画のスパルタンXを見た時、あの聞き慣れた曲に英語の歌詞がのっていて、ちょっと驚いた記憶がふと蘇ってきて、ネットで検索したところ・・・こんな動画を見つけました。



ニコニコ動画



この英語の歌詞に驚いたときは既に三沢ファンだった高校時代。その内容が三沢さんの勇姿にだぶるということはかすかな英語力からでも判断できた。


ニコ動を見れない方の為に、下記にこの動画をUPされた方の和訳した歌詞を掲載させていただきます。



いつの日も、どんな夜も彼は走り続ける

彼が進むのは人々がそう願っているから

彼は闘い続ける ずっと闘い続ける

それは彼がみんなを愛しているから

そしてみんなが望んでいるから

彼だって休みたいときがあるだろう

しかし思い出にしないため 立ち止まらない

朝も夜も、夜も朝も、一日中

彼の闘いは雷のようだ

彼の動きは驚くことばかりだ

彼は謎ばかりだ わからないことばかりだ

彼はレンジャーのように働く

チャージャー(加湿器)でもついているんじゃないか

彼はいつも謎ばかりだ。わからないことばかりだ


(2番)

人は云う 彼は心を魅了し 鋼の肉体を持つと

みんな彼の魂の闘いに触れたいんだ

彼の闘いは明朝から真夜中まで続く

それは彼がみんなを愛しているから

そしてみんなが彼に望むから

でも彼は思い出にしないため 進む

休みたいと想うときもあるだろう

それでも彼は進むんだ

朝も夜も、夜も朝も、ずっと

彼の闘いは稲妻のようだ

彼の動きは驚きで満ちている

彼はいつも謎ばかりだ。誰にも分からない

彼はレンジャーのように働く チャージャーでもついているのか

彼はいつも謎ばかりだ。どうしてなんだ


〜間奏〜

彼の闘いは稲妻のようだ

彼の動きは驚きで満ちている

彼はいつも謎ばかりだ。どうしてなんだ

彼はレンジャーのようだ チャージャーでもついているのか

彼は謎ばかりだ。すげーよ

本当に・・・




この、三沢さんの為に作られたんじゃないかってくらいのリンクっぷり・・・。

「レンジャーのようだ」って部分も、“ちょっともっこり”で御馴染みのディファ有明戦隊ノアレンジャーのことでしょ?(笑)


自分にとって、いや三沢ファンにとって特別な思い入れのあるこのスパルタンX・・・願わくば、7・4の献花式には、この原曲バージョンを流して欲しい。

地上派が終了したときに、日テレに権利があるからとかで、使用出来なくなったと聞きましたが、G+としての契約はまだ残っているんだし、なんとかならないのかなぁ・・・日テレさんお願いします。

でも、実際にこの原曲バージョンなんか会場で流された日にゃ、感情のコントロールが効かなくなりそうだ。

そんな名曲スパルタンXは、三沢さんと共に伝説となって、自分達プロレスファンの記憶の中で永遠に生き続けます!!

| 三沢さん | 19:10 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
鳴り止まない三沢コール・・・
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三沢さん…


本当に


本当に



今まで夢と希望と元気と勇気と感動と…


いっぱい、いっぱい



ありがとうございました!!
| 三沢さん | 22:07 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
男・三沢光晴

今日はこれから、三沢さん永眠後初の関東での大会にして、『Southrun Navig.'09』最終戦の後楽園ホール大会があります。

 
小橋建太…プロレス道継承宣言!!

この日記で、三沢への追悼の思いを綴った小橋さんの記事を紹介しましたが、改めて三沢さんとの距離が近ければ近いほど、気持ちを整理するのは時間を必要とするんだなっていう、当たり前のことを実感しました。

ネット上のブログやサイトでも、様々な団体の様々な選手が三沢さんを偲んだ日記を書いています。

その中でも、自分が心に残った選手の日記をいくつか紹介させていただこうと思います。

ただ、三沢さんのことを日記に書いてないから、追悼コメントを出してないから、そういった短絡的な理由だけで、三沢さんの死を悲しんでいないと決めつけるような受け取り方をするのは間違っていると自分は思います。

小橋さんの日記のところにも書きましたが、言葉にならない、語り尽くせない想いを自分の胸の中だけにしまっている人や選手もいるはずだから・・・それを身勝手にせかしたり囃したてたりするのはおかしいし、まず第一にプロレスファンである前に、人として・・・よく考えてほしいと思います。



秋山社長の徒然日記

ある意味でリングの上で闘っている時は悲しい気持ちが紛れるという部分もあるかもしれません、しかし秋山さんは今回こういうことになって欠場している身で、頭の中では常に色々な思いが交錯しているんでしょうね・・・。

博多大会での、涙ながらの挨拶と、告別式等での沈痛な表情を見て心配していました。これから色々な重圧がのしかかってくることも想像すると、今は今だけはゆっくりと心と体を休めて欲しいと願います。


不死鳥ハヤブサのブログ『愛と勇気とあるこ〜る』
リンクしてある日記を含め、3つの日記に三沢さんとの思い出の日々が綴られています。自分達がよく知っている優しさや愛情に満ちた三沢さん。そして自分達が知ることが出来なかった苦悩や悲しみの中にある三沢さんの素顔がそこにはありました。

人生社長と一緒に車椅子で告別式に参列されていたハヤブサさん。三沢さんへの想いが伝わってくる素晴らしい日記をありがとうございました。きっとハヤブサさんのこれからの頑張りを三沢さんも応援してくれていると思います!頑張れ不死鳥ハヤブサ!!


『バチバチはつらいよ』池田大輔の風天日記 
とても大ちゃんらしい気持ちの表わし方です。一時期同じ団体…そして同じグループの中で一緒に戦ってきた同志が、袂を分かってからもこういう関係でいたということがとても心癒される思いがしました。お互い男気がある者同士で通じるモノも多かったんでしょうね。三沢さんの親分肌気質は大ちゃんがしっかりと受け継いでくれている…そんな気がします。


三田佐代子の猫耳アワー第34回 鳴りやまないスパルタンX

「リング上で死ねたら本望だなんて、そんなの絶対嘘です。そんなこともう二度と誰にも言って欲しくない。」この言葉が特に印象的で、前の日記でも引用させていただきました。三田さんのこのブログは、いつも愛情がだだ漏れ状態で・・・選手と近い場所にいるからこその思いやエピソードを、ファン目線で届けてくれて、それでいてしっかりとレスラーへの敬意を感じさせる、素晴らしいブログだと思います。リンクしてあるこの日記も在りし日の三沢さんの素の表情が垣間見えて心に染みてきます。

そして、テッドさんへの思いをつづった日記も是非よんでいただきたいです。



山本尚史ブログSANCTUARY*悲しい週明け
今、WWEのファーム団体であるFCWで奮闘中の和製ランスケイドこと山本選手のブログでも、レイス親分やデビアス親子や2世レスラー達のコメントが載っています。リンクしてある日記のひとつ前の日記でも、FCWヨーロッパ系の選手や、ROH出身の選手、過去に日本で試合をしたことのある選手からも沢山の着信やメールがあったそうです。

「三沢さんがいかに世界的に偉大なレスラーだったかがわかります。」山本選手のこの言葉を痛感させられます。


OMASUKI FIGHT 「三沢逝去続報」
そして、このブログでは現在ノア参戦中のクリス・ヒーローのコメントを載せてくれています。


どれほど深いショックを受けたかを表現する言葉がない。とにかく信じられない。圧倒的に悲しい。

リングサイドにいて、時間が止まったように思えた。これまでの人生で今夜ほど、自分の闘魂が他人に乗り移って欲しいと思ったことはない。ファンは三沢コールを繰り返していた。ヒーローに立ち上がって欲しくてたまらなかったんだ。たちあがれよ、ほら、たのむから。あなたはこんな風になるにはタフすぎる。強すぎる。僕は彼のブーツを脱がせ、彼が連れて行かれるまでそれを抱えていた。

僕は彼の家族のことを思う。彼の生徒のことを思う。そして彼の同僚。友人。ファン。彼の今夜の対戦相手とパートナーのことを思う。フリークなアクシデントだ。誰も悪くない。

シャチョウ、安らかに眠って欲しい。



その深いショックが伝わってくるようで、胸を締め付けられます。今日の大会にもヒーローは出場します。今日もそしてこれからも、青い目の三沢ism継承者としてNOAHを一緒に盛り立てていって欲しい。


上で紹介したブログの日記の中での三沢さんは、誰に対しても優しさと気遣いの心で接していました。そして、だからこそ余計に関わった人の心にしっかりと残っているんでしょうね。なんかそれが、とても印象的でした。

誰よりも強くて、誰よりも優しい・・・。これほど理想の男性像ってありますかね?

リング上で闘ってきたプロレスラーとしての三沢さんの生き様に惚れたのが、プロレスファンへの入り口だった。でも一人の人間としての魅力にも惹かれていたんだってことを改めて実感させられました。

格好良いよなぁ・・・三沢さん格好良すぎるよ・・・。

| 三沢さん | 18:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
あの三沢さんの名調子とザ・リーヴに乾杯!

三沢さん引退レスラーの人生サポート計画

13日の試合で亡くなったノアの三沢光晴さん(享年46)が、プロレスラーの「再就職サポート」に着手していた。19日、ノアの仲田龍統括本部長(47)が明かした。引退した選手の受け皿となる飲食店の出店も計画中で、11年春に本格的に動きだす予定だった。

 夢実現へ、すでに三沢さん自らが動いていた。昨年、CM契約をしている不動産仲介業などを手掛けるザ・リーヴの佐藤和弘社長と30回以上顔を合わせ、不動産業のノウハウを聞いた。神奈川県内の知人の飲食業オーナーとは、共同出資で新店舗出店プランが進行中で、引退したレスラーの受け皿になる構想を描いてた。「2年間かけてシステムづくりをして、11年春には形になる予定だった」と仲田本部長は話した。
 
 「辞めていく人、辞めていかざるを得ない人のことをいかにサポートできるか。そのことを常に話していた。いろいろ勉強を始めていたのに」と仲田本部長。プロレスを愛し、プロレスラーを愛した、いかにも三沢さんらしい発想と行動。この情熱をプロレス界が引き継いでほしい。(ニッカンスポーツ)

_______

キッカケは、31歳という若さで頚椎損傷の為に引退した浅子さんがトレーナーになるまでの過程で、決して選択肢が広くはない、レスラーの再就職の難しさを感じたことだったそうです。

また、「引退したレスラーの仕事先を手伝えるシステムをつくる」。急死する4日前、9日の静岡大会の控室で、仲田本部長はあらためて三沢さんから聞かされた。それが最後の会話になったともあります。

そんな三沢さんの愛情と優しさに満ちたこの計画を聞かされていた龍さんは、自らがこの計画を引き継いでいくと語っていたそうです。

プロレス界統一コミッションの設立、臓器移植法案の可決、そしてこの引退レスラーの第2の人生サポート計画。生前、三沢さんが願ってやまなかった夢が、今それぞれの形で実現に向けて着実に動き出しています。

これから、三沢さんに安心してプロレス界を見守っていってもらう為にも、そして今リングに上がっている選手達が「悔いなく、やり尽くす」という三沢さんの遺志を継いで、心おきな闘っていけるように・・・この三沢さんの夢が叶うように…頑張って下さい龍さん!!


そして、この計画実現に向けて動いていた三沢さんが、不動産のノウハウを聞く為に30回以上顔を合わせ、共同出資のプランもあったというザ・リーヴの佐藤和弘社長が、何とも男気溢れる決断を下してくれました↓

三沢さん「ザ・リーヴ」CMで生き続ける


もともと大のプロレスファンという佐藤社長は、横浜市内で取材に応じ、三沢さんの急死に「まだ信じられない。自分自身、実感がわかないでいる」と、心境を打ち明けた。三沢さんの死後は、CMを公開している同社の公式サイトにアクセスが集中。14日にはページが表示できないなど、ファンからの反響も大きかった。それもあって、

「ほとんど僕の独断で」放送継続を決めた。

「次は格好いい三沢さんのCMにしたかった」と同社長。「ご遺族やファンの方の許しが得られ、条件がクリアされたら、三沢さんにCGでもいいから出てもらいたい」と、強くてたくましい三沢さんをCMでよみがえらせる計画も打ち明けていた。(gooスポーツ)

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自分は、三沢さん逝去後初のテレ東ゴットタン枠(毎週水曜深夜)で、このCMと継続を知らせるテロップを見た時には、本当にジーンときました。

三沢さんの男気が乗り移ったかのような、この佐藤社長の英断にはとにかく感謝の気持ちでいっぱいです。

地上波のCMで、三沢さんのあの名調子(笑)を見る度に…湿っぽい空気を吹き飛ばしてくれるような気がします。

ただ、ぶっちゃけ・・・新バージョンが作られるなら、あの美声もなんとかIT技術を駆使していただいて・・・って、まぁ三沢さん。あの歌声も「どんまい」ってことですよね!

ともあれ、プロレスファンはあの名調子とザ・リーヴの佐藤社長に乾杯だ

| 三沢さん | 19:56 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
永遠のヒーロー

三沢さん200人に送られ笑顔で旅立つ(ニッカン)

 三沢さんが、満面の笑みで旅立った。13日の試合で急死したノアの社長でプロレスラーの三沢光晴さん(享年46)の告別式が19日、東京・中野区の宝仙寺で営まれた。密葬にもかかわらず、当初予定していた2倍の約200人が参列。最後はノアの百田光雄副社長、歴代タッグパートナー、歴代付け人らに担がれて出棺された。遺影はレスラーの顔ではなく、レーシングスーツ姿の満面の笑み。三沢さんが悲しみに沈む人たちを、元気づけているようだった。法名は釋慈晴(しゃくじはる)。お別れの会は7月4日に東京・ディファ有明で行われることが正式に決まった。

遺影の中の三沢さんは、最高の笑顔だった。午後0時11分、三沢さんを乗せた霊きゅう車から、惜別のクラクションが鳴り響いた。田上が、秋山が、別の車に乗り込んでいた小橋が、うつむき唇を震わせた。佐々木は手すりにつかまって肩を落とした。しかし、長男康真(しずま)さんが手にしていた遺影は、満面の笑みだった。参列者たちを逆に励まし、勇気づけるような、まぶしい笑顔だった。

遺影は家族の意向で選定されたという。リングの上の栄光の瞬間でも、社長としての普段のスーツ姿でもない。レーシングスーツを着て、笑っている写真だった。ノア旗揚げ間もない00年に1度だけ参戦した「筑波ナイター耐久レース」を前にした1カット。底抜けに明るい表情だった。選定の理由は明らかにされなかったが、ノアの社長兼トップ選手として、責任を背負い続けてきた。だから最後くらいは解放させてあげたい、という家族の配慮もあったのかもしれない。

この日午後3時半、夫人が位牌(いはい)、長女が遺影、長男が遺骨を持って無言の帰宅。最後に自宅に立ち寄った、6月8日の東京・八王子大会後以来11日ぶり。戦いの毎日だった三沢さんが、ようやく安らかに眠った。


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このご家族が選んだ遺影の写真からは、確かに"最後くらいは開放させてあげたい”という心情が伝わってくるような気がします。

社長兼レスラーという肩書き以前に、ご家族にとっては、たった一人の父親だったんですもんね。

祭壇には三沢さんが生前好んで収集していた、ウルトラマンや仮面ライダーのフィギュアが20〜30体飾られ、棺(ひつぎ)にも納められたという。

リングの上ではプロレスファンから“ヒーロー”として愛されていた三沢さんも、リングを降りれば自らが“(特撮)ヒーロー”を愛していた。

そんな特撮ヒーロー好きという趣味も、自分らファンからすれば数ある三沢さんの顔の中のある一面でしかないんだけど、きっとご家族にとっては、童心に返って趣味に没頭する三沢さんの顔こそがリングの上や社長としての顔よりも一番身近に感じられるものだったんだろうな。上の一文を見て改めてそう思いました。

そして今日、特撮ヒーロー好きの友人からメールで、

「いつも見ている特撮サイトに三沢の追悼コメントがいっぱい載ってた」

と知らされて、三沢さんは自分が大好きだった特撮ヒーローのファンからも愛されてたんだなぁ・・・きっとそれは三沢さんも喜んでるだろうなぁって、そう思うとジーンと来ました。


自分達プロレスファンにとって、三沢光晴という存在はTVの中のどんなヒーローよりも夢と希望と感動を与えてくれた。

一番身近で等身大の真のヒーローだったと思います!


そしてこれからも・・・三沢さんは、オレ達の永遠のヒーローです!

今まで本当にお疲れ様でした。

| 三沢さん | 20:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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