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いつの日も、どんな夜も彼は走り続ける
彼が進むのは人々がそう願っているから
彼は闘い続ける ずっと闘い続ける
それは彼がみんなを愛しているから
そしてみんなが望んでいるから
彼だって休みたいときがあるだろう
しかし思い出にしないため 立ち止まらない
朝も夜も、夜も朝も、一日中
彼の闘いは雷のようだ
彼の動きは驚くことばかりだ
彼は謎ばかりだ わからないことばかりだ
彼はレンジャーのように働く
チャージャー(加湿器)でもついているんじゃないか
彼はいつも謎ばかりだ。わからないことばかりだ
(2番)
人は云う 彼は心を魅了し 鋼の肉体を持つと
みんな彼の魂の闘いに触れたいんだ
彼の闘いは明朝から真夜中まで続く
それは彼がみんなを愛しているから
そしてみんなが彼に望むから
でも彼は思い出にしないため 進む
休みたいと想うときもあるだろう
それでも彼は進むんだ
朝も夜も、夜も朝も、ずっと
彼の闘いは稲妻のようだ
彼の動きは驚きで満ちている
彼はいつも謎ばかりだ。誰にも分からない
彼はレンジャーのように働く チャージャーでもついているのか
彼はいつも謎ばかりだ。どうしてなんだ
〜間奏〜
彼の闘いは稲妻のようだ
彼の動きは驚きで満ちている
彼はいつも謎ばかりだ。どうしてなんだ
彼はレンジャーのようだ チャージャーでもついているのか
彼は謎ばかりだ。すげーよ
本当に・・・
この、三沢さんの為に作られたんじゃないかってくらいのリンクっぷり・・・。
「レンジャーのようだ」って部分も、“ちょっともっこり”で御馴染みのディファ有明戦隊ノアレンジャーのことでしょ?(笑)
自分にとって、いや三沢ファンにとって特別な思い入れのあるこのスパルタンX・・・願わくば、7・4の献花式には、この原曲バージョンを流して欲しい。
地上派が終了したときに、日テレに権利があるからとかで、使用出来なくなったと聞きましたが、G+としての契約はまだ残っているんだし、なんとかならないのかなぁ・・・日テレさんお願いします。
でも、実際にこの原曲バージョンなんか会場で流された日にゃ、感情のコントロールが効かなくなりそうだ。
そんな名曲スパルタンXは、三沢さんと共に伝説となって、自分達プロレスファンの記憶の中で永遠に生き続けます!!
今日はこれから、三沢さん永眠後初の関東での大会にして、『Southrun Navig.'09』最終戦の後楽園ホール大会があります。
小橋建太…プロレス道継承宣言!!
この日記で、三沢への追悼の思いを綴った小橋さんの記事を紹介しましたが、改めて三沢さんとの距離が近ければ近いほど、気持ちを整理するのは時間を必要とするんだなっていう、当たり前のことを実感しました。
ネット上のブログやサイトでも、様々な団体の様々な選手が三沢さんを偲んだ日記を書いています。
その中でも、自分が心に残った選手の日記をいくつか紹介させていただこうと思います。
ただ、三沢さんのことを日記に書いてないから、追悼コメントを出してないから、そういった短絡的な理由だけで、三沢さんの死を悲しんでいないと決めつけるような受け取り方をするのは間違っていると自分は思います。
小橋さんの日記のところにも書きましたが、言葉にならない、語り尽くせない想いを自分の胸の中だけにしまっている人や選手もいるはずだから・・・それを身勝手にせかしたり囃したてたりするのはおかしいし、まず第一にプロレスファンである前に、人として・・・よく考えてほしいと思います。
秋山社長の徒然日記
ある意味でリングの上で闘っている時は悲しい気持ちが紛れるという部分もあるかもしれません、しかし秋山さんは今回こういうことになって欠場している身で、頭の中では常に色々な思いが交錯しているんでしょうね・・・。
博多大会での、涙ながらの挨拶と、告別式等での沈痛な表情を見て心配していました。これから色々な重圧がのしかかってくることも想像すると、今は今だけはゆっくりと心と体を休めて欲しいと願います。
不死鳥ハヤブサのブログ『愛と勇気とあるこ〜る』
リンクしてある日記を含め、3つの日記に三沢さんとの思い出の日々が綴られています。自分達がよく知っている優しさや愛情に満ちた三沢さん。そして自分達が知ることが出来なかった苦悩や悲しみの中にある三沢さんの素顔がそこにはありました。
人生社長と一緒に車椅子で告別式に参列されていたハヤブサさん。三沢さんへの想いが伝わってくる素晴らしい日記をありがとうございました。きっとハヤブサさんのこれからの頑張りを三沢さんも応援してくれていると思います!頑張れ不死鳥ハヤブサ!!
『バチバチはつらいよ』池田大輔の風天日記
とても大ちゃんらしい気持ちの表わし方です。一時期同じ団体…そして同じグループの中で一緒に戦ってきた同志が、袂を分かってからもこういう関係でいたということがとても心癒される思いがしました。お互い男気がある者同士で通じるモノも多かったんでしょうね。三沢さんの親分肌気質は大ちゃんがしっかりと受け継いでくれている…そんな気がします。
三田佐代子の猫耳アワー第34回 鳴りやまないスパルタンX
「リング上で死ねたら本望だなんて、そんなの絶対嘘です。そんなこともう二度と誰にも言って欲しくない。」この言葉が特に印象的で、前の日記でも引用させていただきました。三田さんのこのブログは、いつも愛情がだだ漏れ状態で・・・選手と近い場所にいるからこその思いやエピソードを、ファン目線で届けてくれて、それでいてしっかりとレスラーへの敬意を感じさせる、素晴らしいブログだと思います。リンクしてあるこの日記も在りし日の三沢さんの素の表情が垣間見えて心に染みてきます。
そして、テッドさんへの思いをつづった日記も是非よんでいただきたいです。
山本尚史ブログSANCTUARY*悲しい週明け
今、WWEのファーム団体であるFCWで奮闘中の和製ランスケイドこと山本選手のブログでも、レイス親分やデビアス親子や2世レスラー達のコメントが載っています。リンクしてある日記のひとつ前の日記でも、FCWヨーロッパ系の選手や、ROH出身の選手、過去に日本で試合をしたことのある選手からも沢山の着信やメールがあったそうです。
「三沢さんがいかに世界的に偉大なレスラーだったかがわかります。」山本選手のこの言葉を痛感させられます。
OMASUKI FIGHT 「三沢逝去続報」
そして、このブログでは現在ノア参戦中のクリス・ヒーローのコメントを載せてくれています。
どれほど深いショックを受けたかを表現する言葉がない。とにかく信じられない。圧倒的に悲しい。
リングサイドにいて、時間が止まったように思えた。これまでの人生で今夜ほど、自分の闘魂が他人に乗り移って欲しいと思ったことはない。ファンは三沢コールを繰り返していた。ヒーローに立ち上がって欲しくてたまらなかったんだ。たちあがれよ、ほら、たのむから。あなたはこんな風になるにはタフすぎる。強すぎる。僕は彼のブーツを脱がせ、彼が連れて行かれるまでそれを抱えていた。
僕は彼の家族のことを思う。彼の生徒のことを思う。そして彼の同僚。友人。ファン。彼の今夜の対戦相手とパートナーのことを思う。フリークなアクシデントだ。誰も悪くない。
シャチョウ、安らかに眠って欲しい。
その深いショックが伝わってくるようで、胸を締め付けられます。今日の大会にもヒーローは出場します。今日もそしてこれからも、青い目の三沢ism継承者としてNOAHを一緒に盛り立てていって欲しい。
上で紹介したブログの日記の中での三沢さんは、誰に対しても優しさと気遣いの心で接していました。そして、だからこそ余計に関わった人の心にしっかりと残っているんでしょうね。なんかそれが、とても印象的でした。
誰よりも強くて、誰よりも優しい・・・。これほど理想の男性像ってありますかね?
リング上で闘ってきたプロレスラーとしての三沢さんの生き様に惚れたのが、プロレスファンへの入り口だった。でも一人の人間としての魅力にも惹かれていたんだってことを改めて実感させられました。
格好良いよなぁ・・・三沢さん格好良すぎるよ・・・。
三沢さん引退レスラーの人生サポート計画
13日の試合で亡くなったノアの三沢光晴さん(享年46)が、プロレスラーの「再就職サポート」に着手していた。19日、ノアの仲田龍統括本部長(47)が明かした。引退した選手の受け皿となる飲食店の出店も計画中で、11年春に本格的に動きだす予定だった。
夢実現へ、すでに三沢さん自らが動いていた。昨年、CM契約をしている不動産仲介業などを手掛けるザ・リーヴの佐藤和弘社長と30回以上顔を合わせ、不動産業のノウハウを聞いた。神奈川県内の知人の飲食業オーナーとは、共同出資で新店舗出店プランが進行中で、引退したレスラーの受け皿になる構想を描いてた。「2年間かけてシステムづくりをして、11年春には形になる予定だった」と仲田本部長は話した。
「辞めていく人、辞めていかざるを得ない人のことをいかにサポートできるか。そのことを常に話していた。いろいろ勉強を始めていたのに」と仲田本部長。プロレスを愛し、プロレスラーを愛した、いかにも三沢さんらしい発想と行動。この情熱をプロレス界が引き継いでほしい。(ニッカンスポーツ)
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キッカケは、31歳という若さで頚椎損傷の為に引退した浅子さんがトレーナーになるまでの過程で、決して選択肢が広くはない、レスラーの再就職の難しさを感じたことだったそうです。
また、「引退したレスラーの仕事先を手伝えるシステムをつくる」。急死する4日前、9日の静岡大会の控室で、仲田本部長はあらためて三沢さんから聞かされた。それが最後の会話になったともあります。
そんな三沢さんの愛情と優しさに満ちたこの計画を聞かされていた龍さんは、自らがこの計画を引き継いでいくと語っていたそうです。
プロレス界統一コミッションの設立、臓器移植法案の可決、そしてこの引退レスラーの第2の人生サポート計画。生前、三沢さんが願ってやまなかった夢が、今それぞれの形で実現に向けて着実に動き出しています。
これから、三沢さんに安心してプロレス界を見守っていってもらう為にも、そして今リングに上がっている選手達が「悔いなく、やり尽くす」という三沢さんの遺志を継いで、心おきな闘っていけるように・・・この三沢さんの夢が叶うように…頑張って下さい龍さん!!
そして、この計画実現に向けて動いていた三沢さんが、不動産のノウハウを聞く為に30回以上顔を合わせ、共同出資のプランもあったというザ・リーヴの佐藤和弘社長が、何とも男気溢れる決断を下してくれました↓
三沢さん「ザ・リーヴ」CMで生き続ける
もともと大のプロレスファンという佐藤社長は、横浜市内で取材に応じ、三沢さんの急死に「まだ信じられない。自分自身、実感がわかないでいる」と、心境を打ち明けた。三沢さんの死後は、CMを公開している同社の公式サイトにアクセスが集中。14日にはページが表示できないなど、ファンからの反響も大きかった。それもあって、
「ほとんど僕の独断で」放送継続を決めた。
「次は格好いい三沢さんのCMにしたかった」と同社長。「ご遺族やファンの方の許しが得られ、条件がクリアされたら、三沢さんにCGでもいいから出てもらいたい」と、強くてたくましい三沢さんをCMでよみがえらせる計画も打ち明けていた。(gooスポーツ)
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自分は、三沢さん逝去後初のテレ東ゴットタン枠(毎週水曜深夜)で、このCMと継続を知らせるテロップを見た時には、本当にジーンときました。
三沢さんの男気が乗り移ったかのような、この佐藤社長の英断にはとにかく感謝の気持ちでいっぱいです。
地上波のCMで、三沢さんのあの名調子(笑)を見る度に…湿っぽい空気を吹き飛ばしてくれるような気がします。
ただ、ぶっちゃけ・・・新バージョンが作られるなら、あの美声もなんとかIT技術を駆使していただいて・・・って、まぁ三沢さん。あの歌声も「どんまい」ってことですよね!
ともあれ、プロレスファンはあの名調子とザ・リーヴの佐藤社長に乾杯だ
三沢さん200人に送られ笑顔で旅立つ(ニッカン)
三沢さんが、満面の笑みで旅立った。13日の試合で急死したノアの社長でプロレスラーの三沢光晴さん(享年46)の告別式が19日、東京・中野区の宝仙寺で営まれた。密葬にもかかわらず、当初予定していた2倍の約200人が参列。最後はノアの百田光雄副社長、歴代タッグパートナー、歴代付け人らに担がれて出棺された。遺影はレスラーの顔ではなく、レーシングスーツ姿の満面の笑み。三沢さんが悲しみに沈む人たちを、元気づけているようだった。法名は釋慈晴(しゃくじはる)。お別れの会は7月4日に東京・ディファ有明で行われることが正式に決まった。
遺影の中の三沢さんは、最高の笑顔だった。午後0時11分、三沢さんを乗せた霊きゅう車から、惜別のクラクションが鳴り響いた。田上が、秋山が、別の車に乗り込んでいた小橋が、うつむき唇を震わせた。佐々木は手すりにつかまって肩を落とした。しかし、長男康真(しずま)さんが手にしていた遺影は、満面の笑みだった。参列者たちを逆に励まし、勇気づけるような、まぶしい笑顔だった。
遺影は家族の意向で選定されたという。リングの上の栄光の瞬間でも、社長としての普段のスーツ姿でもない。レーシングスーツを着て、笑っている写真だった。ノア旗揚げ間もない00年に1度だけ参戦した「筑波ナイター耐久レース」を前にした1カット。底抜けに明るい表情だった。選定の理由は明らかにされなかったが、ノアの社長兼トップ選手として、責任を背負い続けてきた。だから最後くらいは解放させてあげたい、という家族の配慮もあったのかもしれない。
この日午後3時半、夫人が位牌(いはい)、長女が遺影、長男が遺骨を持って無言の帰宅。最後に自宅に立ち寄った、6月8日の東京・八王子大会後以来11日ぶり。戦いの毎日だった三沢さんが、ようやく安らかに眠った。
このご家族が選んだ遺影の写真からは、確かに"最後くらいは開放させてあげたい”という心情が伝わってくるような気がします。
社長兼レスラーという肩書き以前に、ご家族にとっては、たった一人の父親だったんですもんね。
祭壇には三沢さんが生前好んで収集していた、ウルトラマンや仮面ライダーのフィギュアが20〜30体飾られ、棺(ひつぎ)にも納められたという。
リングの上ではプロレスファンから“ヒーロー”として愛されていた三沢さんも、リングを降りれば自らが“(特撮)ヒーロー”を愛していた。
そんな特撮ヒーロー好きという趣味も、自分らファンからすれば数ある三沢さんの顔の中のある一面でしかないんだけど、きっとご家族にとっては、童心に返って趣味に没頭する三沢さんの顔こそがリングの上や社長としての顔よりも一番身近に感じられるものだったんだろうな。上の一文を見て改めてそう思いました。
そして今日、特撮ヒーロー好きの友人からメールで、
「いつも見ている特撮サイトに三沢の追悼コメントがいっぱい載ってた」
と知らされて、三沢さんは自分が大好きだった特撮ヒーローのファンからも愛されてたんだなぁ・・・きっとそれは三沢さんも喜んでるだろうなぁって、そう思うとジーンと来ました。
自分達プロレスファンにとって、三沢光晴という存在はTVの中のどんなヒーローよりも夢と希望と感動を与えてくれた。
一番身近で等身大の真のヒーローだったと思います!
そしてこれからも・・・三沢さんは、オレ達の永遠のヒーローです!
今まで本当にお疲れ様でした。